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使節の旅 1584年11月



11月11日(日) スペイン皇太子宣誓式に参列

 今日はサン・へロニモ修道院でスペイン皇太子の宣誓式が行われた。スペイン国王は、使節がこの式に参列することを希望したが、使節はマルティノの病のため国王に謁見しておらず、公式に宣誓式に出ることができなかった。
 そこで、国王は一行のために、人に見られずに式に参列できる場所を設けさせ、侍従のドン・クリストフォロ・デ・モラを使節に同行させた。
 この儀式は盛大、華麗を極め、5時間に渡って行われた。

●式前に行われたミサでは、ちょっとしたハプニングがありました。
1584年11月11日 聖マルチノの聖日ミサ at サン・ヘロニモ修道院


11月14日(水) スペイン国王フェリペ2世に会いに行く

 使節はスペイン国王との謁見のため、インドで作らせた肌着の上に、日本の着物を着用した。その生地は絹でできており、白地に花鳥や木の葉の形を織り込んだ美しいものだった。袴も同じ絹地で、同じ色のものを着用し、足袋と草履を履いた。腰には大刀・小刀を差し、さらに、スペインの風習に倣い、インド風の帽子を用いた。
 国王の遣わした馬車に乗り込み、宮殿に向かったが、外から見えないように扉は閉ざしてあった。それにも関わらず、宮殿の前には人が集まり、馬車を降りて進めないほどだったので、侍従や護衛兵がかろうじて道を開け、宮殿に入った。
 使節は国王の寝所や食堂を過ぎ、奥の広間に案内された。そこではマントを着用し、剣を帯びた国王と、王子や王女が待っていた。
 そこで4人そろって礼をしたあと、マンショとミゲルが大友・有馬・大村三侯の書簡を献上し、日本語で読み上げたあと、メスキータが通訳した。
 使節は国王に日本からの土産物を献上したあと、国王の手に接吻しようとしたが、国王はこれをさせず、彼ら一人一人を親しみをもって抱擁した。王子や王女もこれに倣った。
 その後、国王は日本や使節の健康状態について質問したり、着物のことを話したりして、使節とともに1時間ほど過ごした。
 最後に、国王は、自分の小聖堂で夕の祈りがあるので参列したいかと尋ね、使節が参列の希望を伝えると、聖堂に案内させた。
 聖堂ではすでに聖歌隊が二手に分かれて待っていた。使節一行の席は、祭壇の近くに設けられていた。

11月15日(木) オーストリア皇太后に会いに行く

 昨日はフェリペ2世の姉であるオーストリア皇太后にも会いに行く予定だったが、戻るのが夜遅くなったため、今日行くことに。
 皇太后から遣わされた2台の馬車のほか、国王からも2台の馬車が遣わされたため、4台の馬車で皇太后のもとへ向かう。
 皇太后は、国王と同じように慈愛深く使節を迎えた。彼らを一人一人抱擁し、信心と礼節について語った。


11月16日(金) エル・エスコリアールへ行く

 今日は王宮と修道院があるエル・エスコリアールを訪問した。使節はフェリペ2世に謁見した際、翌日の訪問を希望したが、国王が、「(使節が)よく休めるように」と、謁見の2日後を勧めたため、この日になった。
 国王は事前に、自分の家の司祭長であるドン・ディエゴ・デ・コルドバに、馬車や必要なものを準備するように言った。また、国王自身の署名入りで、エスコリアール修道院と宿泊係への手紙を送った。それには使節を丁重に扱い、見るべきものを見せ、彼らがすべてに満足して帰るようにという指示があった。
 この日、使節は国王の家臣サンタョが管理する離宮に宿泊した。ここでは、多くの像や珍しい物の他に、ガラスを工夫して作ってある戸棚を見た。高さ5パルモ、幅3パルモのうちに多数の鏡がおさめられており、その鏡が互いに反射し、それを見る者の姿が鏡に無限の像となって映るものである。


11月17日(土) エル・エスコリアール見学

 早朝、白馬のひく国王の馬車にて使節は修道院へ赴いた。国王の命令で、貴人の1人は騎馬で往復ともに終始随伴した。聖遺物の納室に着いて、ミサを聴いたあと、王宮と修道院の見学を始めた。宝物を見せてもらったり、図書室にも案内された。図書室には各国語で書かれ、見事に装丁された様々な書物が保管されていた。
 使節はさらに修道院の建築も見学したが、ここは4つの区画に分かれ、それぞれ庭園があった。もう1つの区画は国王の居所に当てられていた。これらの区画はすべて6階建てで、数えきれないほどの部屋があった。その他、彫像や絵画、美しい大理石の柱など、無数の高価なものを見せてもらった。

●ドラードの記録に基づくと思われる、さらに細かい内容はこちら
「ドラード探検記 エル・エスコリアール編」


11月19日(月) マドリッドへ戻る

 今日もミサに参列したあと、修道院の長老が準備してくれた朝ご飯をいただく。
 その後、マドリッドへの帰路についた。

…再びマドリッド滞在中…
 
国王の武器庫、厩舎、宝石など、国王の命により逐一使節に見せられた。

●ドラードの記録に基づくと思われる、さらに細かい内容はこちら
「ドラード探検記 マドリッド編」

 国王はカルタヘナやアリカンテの海軍の長官に手紙を送り、これからの使節の乗船にそなえた。また、自分の負担で航海に必要なものを準備した。使節の今後の経路であるムルシアの知事にも便宜を計るように手紙を送り、さらにローマ駐在大使オリヴァレス伯爵宛の手紙には、使節に名誉の待遇をし、宮廷の他の人々の模範となるように命じ、逐一詳しく報告するよう求めた。


11月25日(日) 聖カタリナの祭日

 フェリペ2世は突然、大官、各国の大使、顧問官全員と共に、使節の滞在しているイエズス会の会堂に来て、ミサに参列した。これは異例なことで、使節に更なる名誉を与えるためだった。


11月26日(月) マドリッド出発、アルカラに到着

 マドリッドを出発したあと、アルカラに直行し、夕方には到着した。
 使節はイエズス会のコレジオに入ろうとしたが、群集がつめかけていたので、仕方なく門を閉め、貴族と重立った人のみ入れることになった。しかし、制限をかけたにも関わらず、これらの人々の訪問は、夜遅くまで数時間続いた。その中には、多くの学生を引き連れてやってきた、アルカラの大学の学長もいた。


(2013.12.16 作成)
(2014.01.05 修正)


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