1584年11月11日 聖マルチノの聖日ミサ at サン・へロニモ修道院

●この記録が書かれている文献
  ルイス・フロイス(岡本良知譯註)『九州三侯遣歐使節行記 正篇』(東洋堂、1942年)
「第八章 トレド市よりマドリ−へ赴きし次第」の中に記述されています。

●誰の記録に基づくものか
 不明。この『使節行記』自体はフロイスが編纂したとされていますが、訳者の岡本先生は、この部分の注で「一行中の日本人実見の覚書を引用されているに違いない」と言っています。しかも「(覚書は)ポルトガル語で書かれていたと推定すべきであるから、書いた者もポルトガル語の達者なる人であったことが確かである」と付け加えています。使節一行の中で、ポルトガル語がよくできる人って限られてくるような…

 内容は次のようなものです(文章はわかりやすいように適宜変えています)。

 この日は聖マルチノの聖日であったので、厳粛なミサがまず行われた。
 このミサの進行中に、ひどくおかしいことが起こった。それは次のようなことである。
 時間も経ち、ミサのあとには皇太子殿下への宣誓の儀式が続けて行われることになっていたので、ミサを挙げていた枢機卿様は序誦を省略しようとお思いになって、低い声で唱えて(終わったものとし)、次のサンクトゥスをお唱えなさろうとした。


 ここで、ミサの内容について見てみましょう。
 ミサの中で、「序誦」と呼ばれる部分があり、その次に史料にある「サンクトゥス(現在の日本では「感謝の賛歌」と呼ばれています)」に移ります。具体的には、次のように唱えていきます。

(■)
司祭:Per omnia saecula saeculorum.(世々に至るまで。)
侍者:Amen.(アーメン。)
司祭:Dominus vobiscum.(主は、あなたたちとともに。)
侍者:Et cum spiritu tuo.(また、あなたの霊とともに。)
司祭:Sursum corda.(心をあげよ。)
侍者:Habemus ad Dominum.(われらは、心を主にあげ奉る。)
司祭:Gratias agamus Domino Deo nostro.(われらの神なる主に感謝しよう。)
侍者:Dignum et justum est.(それは、ふさわしく、正しいことである。)

序誦(ここで司祭が序誦を唱えます。ミサの内容や季節によって、違う文章になります)

(★)
Sanctus, sanctus, sanctus Dominus Deus Sabaoth.(聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。)
Pleni shunt caeli et terra gloria tua. (天と地とは、その光栄にみちあふれる。)
Hosanna in excelsis.(いと高き天にホザンナ。)
Benedictus qui venit in nomine Domini.(主の御名によって来給う御者は、祝されよ。 )
Hosanna in excelsis.(いと高き天にホザンナ。)

日本語訳はフエデリコ・バルバロ訳編『毎日のミサ典書』(ドン・ボスコ社、1955年)から引用


 ミサでは基本的に司祭が言葉を発し、侍者(聖歌隊)または会衆がそれに答える、という形をとります。
 史料によると、このときは宣誓式があってミサに時間がとれなかったので、司式していた枢機卿が「序誦(上の■部分)」をすばやく唱え、次の「サンクトゥス(上の★印部分)」に移ろうとしたようです。ここでハプニングです。

 しかし、聖堂があまりに大きく、内陣の歌手たちはかなり遠くにいたので、彼らは(枢機卿様がサンクトゥスを唱えようとしていることに)気がつかなかった。そのとき礼拝堂からは、サンクトゥスに移るための鐘が鳴った。内陣の人たちは、この鐘の音を聞いて、枢機卿様が序誦を始めたと思い、「Per omnia saecula saeculorum.」が唱えられたものと察し、極めて正しい調子でアーメンを斉唱した。そのため、騒ぎと失笑が一部の人々の間に起こり、内陣の人達も慌てた様子になった。

 このときは返答を歌手(聖歌隊)がやっていたようですね。しかし、聖堂が広すぎて枢機卿の声が聞こえないため、鐘を合図に返答していたことがわかります。今は広い聖堂だとマイクを使ったりしますが、昔は大変でした。そしてこの鐘が厄介だった…「内陣の歌手」は上の■部分一行目の言葉が唱えられたと思い、それに答えて「アーメン」を唱えているんですね。司祭が何も言ってないのに、返答だけ「アーメン」と来たものだから、ミサの内容がきちんと聞こえている人たちが騒ぎ出した。この記録が残っているということは、使節の席でも全て聞こえていたようです。いい席用意してもらってましたからね。

 史料の続きです。事態はさらにまずいことに…

 鐘を鳴らす係の者は、この騒ぎをしずめ、錯誤を正すために、再度鐘を鳴らし、サンクトゥスに入るように合図をした。しかし、内陣の人は鐘の音の意味がわからず、(次に唱えられる)「Dominus vobiscum.」が唱えられたと思い、「Et cum spiritu tuo.」と答えた。すると、臨席している人々の間に、前よりも大きな騒ぎが起こったので、鐘を鳴らす係の者も、敢えて鳴らさなくなった。こうなっても、内陣や礼拝堂の方々は間違いに気がつかず、内陣の人々に向かって、「サンクトゥス・サンクトゥス」と知らせる人が現れるまで、その騒ぎは続いた。

 なんと歌い手たち、次の返答をしてしまいました。「アーメン」に引き続き、いきなり「また、あなたの霊とともに」なんて歌っているもんだから、いよいよわけがわからなくなって、参列者が騒ぎ出したようですね。ちなみに「サンクトゥス」、歌うときは聖歌隊からスタートします(現代の場合)。この騒ぎが起こっているところからして、昔もそうだったのかもしれません。最後は誰かが知らせに行って落ち着いたみたいです。

 使節の記録はこの文献以外に『大日本史料』や、対話形式で書かれたサンデ訳の『天正遣欧使節記』などがありますが、この内容は出てきません。まあ、こんなちょっとした話だし、主催者側からしたらかっこわるいことなので、ヴァリニャーノなんかは「これは省こう」なんて言って無視しそうな感じですが。『九州三侯遣歐使節行記』では、なんだかわからないけど(うっかり?)写されてしまい、そのまま残っているようです。使節の記録にあるミサの記述は「荘厳だ」「豪華だ」「素晴らしい」など、褒め言葉ばかりが並んでいるのですが、やはり人間がやることですし、こんなハプニングもありますよね。
 「ヨーロッパすごい」的な文章でいつも書かれている使節の記録なので、最初に見たときには「なんだろ、この記録」という印象でした。事件を見て書いたというよりは、何やら面白がっているような様子さえ伝わってくるような…?とにかく、何だか生き生きしていたので、ちょっと異質なものを感じ、ここに取り上げた次第です。
 使節とは言っても、いつもかしこまってばかりじゃ疲れますからね〜(^^)



(2014.01.05 作成)


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