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使節の旅 1584年10月



10月1日(月) ミゲルの天然痘

 昨日発熱したミゲルは、体全体に湿疹ができた。当初は病気の原因も分からないまま症状が悪化し、命の危険さえあった。町のおもな医者たちが治療にあたり、一度瀉血され、体質に応じて薬が与えられている。

 他の使節たちは、コレジオを訪問する。コレジオの学生がいろいろな諷詩や対話を試みて、使節たちを歓迎した。一行は晩ご飯をごちそうになったあと、教室を訪れた。どこの教室でも演劇や演説、討論のような学課が行われていた。
 その後、イタリア・クレモナ出身の科学者ジャネリオ・トゥルリアーノに会う。使節一行は、彼が作った水道を見に行った。階段の下に小屋があり、その中に、タホ川からトレドの町まで水を汲み上げる機械が入っていた。同じく彼が作った時計のようなものも見せてもらった。これは大部分が銀でできており、歯車の数が多く、天体の移動・年月・日付け・曜日・時間・金の数字などが表示される。1日で針が一回転し、24時間に4度鳴るという。使節たちが製作日数を訪ねると、計画に20年、製作に2年かかったと答えた。トゥルリアーノは弟子として、息子にこの技術を教えている。

10月17日(水) ミゲル回復、マルティノ発熱

 ミゲルは回復したものの、今度はマルティノが熱を出した。                  

10月19日(金) トレドを出発

 マルティノの病気も心配だったが、今日はわりと調子が良さそうだったので、次の目的地マドリッドに向かうことになった。


10月20日(土) マドリッド到着

 マドリッドに近付いてきた時に、4頭立ての全て白馬の馬車が4輌あらわれた。マドリッドの貴人たちが迎えにこさせたものだった。使節たちは1人1人別々にその馬車に乗り換え、多くの貴人たちに出迎えられてマドリッドへ到着、イエズス会のコレジオへ入る。

 マルティノは病気が重くなり、国王の主治医1人を含めた4人の医者が彼を診ることになった。彼は体質的に丈夫だったので4回瀉血され、下剤の処置も受けている。

…マドリッド滞在中…
 使節たちは地元の要人たちの訪問を何度も受ける。時には使節たちに楽しんでもらおうと、立派な楽器の演奏会が何度も開かれた。ちょうどマドリッドに滞在していたフランスの大使もやってきて、フランス国王に代わってさまざまな約束をし、使節が帰り道にフランスを通過することを求めた。
 貴人だけではなく、庶民も使節たちに会いに来ている。ある人は一行を殿下として、他の者は貴下として、また他の者は閣下として話し、ある人はそばに来て使節たちの手に接吻し、また受洗が済んだかと訪ねる人もいた。
 使節は修舎内ではいつも、紫色や朱色の立派に作られた絹の胴衣と半ズボン、撚糸製やビロード製の靴下、上半分を裏付けした長い上着を着ている。


(2013.12.23 修正)

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