ヴィラ・ヴィソーザでは、ブラガンサ公爵とカタリーナ妃がサント・アゴスチーニュの修道院で、使節一行の到着を待っていた。そこには優れた音楽と厳かなミサが準備されていた。使節は天主堂の入り口で、公爵とその弟たちに迎えられる。ブラガンサ家当主であるドン・テオドシオ・デ・ブラガンサは16歳で、使節たちと同じくらいの年令。弟はドゥアルテ14歳、アレシャンドレ10歳、フェリペ3〜4歳。彼らはそこで通訳を通して挨拶を交わしたあと、少しポルトガル語で話した。
使節たちはそれから大礼拝堂に案内された。礼拝堂の中の片側には、喪服をまとった公爵と兄弟のために黒いビロードの背の高い椅子が並べられ、向かい側には使節たちのために、深紅色の椅子があった。その日はここでサン・ニコロの祭りが行われた。
ミサが終わると、公爵と兄弟たちは馬に乗って帰っていった。使節たちはカタリーナ妃の輿車に乗り、ブラガンサ邸へ。公爵は家中の人と共にすでに階段の下で一行を待っていた。みんなでそろってカタリーナ妃のもとへ行くと、彼女は使節一行を強い親愛の情と喜びをもってもてなし、親しみ深くいろいろなことを尋ねた。それはこの時だけではなく、一行に会う時はいつもそうだった。
…ヴィラ・ヴィソーザ滞在中…
●使節の宿舎
使節たちの宿舎として準備されていた館は、ドン・ヌーノ・アルワーレス・ペレイラの物語を描いた、金と絹製の壁布(タペサリヤ)や見事な品物で飾られ、床には立派な絨毯が敷き詰められていた。用意された3つの部屋には、錦の天蓋と掛布できれいに飾られたベッドが6つあった。ベッドのうちの特に立派な2つは、使節に伴ってローマへ行くパードレにあてられていたが、彼らは別の粗末なベッドを使うことにして、良い方のベッドはマンショとマルチノが使うことになった。
●食事
使節たちはいつも、ブラガンサ公爵と兄弟たちと一緒に食事している。マンショは毎回、公爵の上席を譲られた。食事にはいろいろな珍味が並び、使節たちの栄養になるより、感心させる役目を果たしたほど量が多かった。どの皿も壷も銀製で、随員であるドラードたちもそのような食器で食べた。皿を洗う桶まで銀製だった。食事をした部屋にはさまざまなメッキをほどこされた銀の壷や、いくつかの金の壷からなるひとそろいの食器もあった。
●ドラードの記録
使節一行の中には、好奇心が強く、ポルトガル文をよく書く人がいた。この人はコンスタンチーノ・ドラードだと考えられている。彼はブラガンサ公爵家の台所にお邪魔して、細かい記録を残している。
私は公家の厨房に入ったことがあった。聞いたところによると、この屋敷内には客用でも家人用でも、スズ製の皿は一皿もない。もしちょっとでも欠けたりすれば、価値がないとみなされて捨てられる。水を受ける桶や、周囲12・3パルモの足を洗うための大だらいすら銀製である(1パルモは手を広げた時の中指から手の付け根までの長さ)。
また、高さ13・4段ある食器棚を見た。見事な物で、中に入っている食器もかつて想像したことがなく、見たこともない。
この食器棚に入っている物の記録を箇条書きにすると
・テモール(冷水を入れる陶磁の壷と思われる)丈4パルモ周り6パルモ…2個
・テモール(小)丈4パルモ、丸い…2個
・塩壷(大)丈2パルモ…6個
・塩壷(小)…2個
・水さし(大)…6個
・水さし(小)…2個
・水鉢(手洗い用)周囲7・8パルモ、金製…3個
・同上、銀製…14個
・小皿 周囲3パルモ丈1パルモ以上…28個
・小盆 丈1パルモ以上…16個
・葡萄酒壷(大)高さ4パルモ…2個
・葡萄酒壷(小)高さ2パルモ…2個
・塩壷(大)高さ3パルモ…3個
・塩壷(小)…4個
・(別に大)?…3個
・フラスコ 高さ2パルモ…2個
・甚だ太き塩壷用犀型容器(サイの角でできたものらしい)長さ2パルモ丈2パルモ…1個
・フラスコ 高さ3パルモ
さらにドラードは、「食器棚を飾るために更に多くの銀器を示したいと思うが、暇もないのでしない。思うにこの種の容器類の他にも多数の品があるだろう」と記している。この続きはブラガンサ邸内部の記録になる。
もっと見たい方はこちら→「ドラード探検記」
●カタリーナ妃の特別なお祝い
使節たちは着物を着てカタリーナ妃に会いに行ったことがあった。着物が気に入ったカタリーナ妃は、ひそかに急いで着物を作らせた。そしてある日の夕方、「日本人を紹介したいから自分の所に来るように」と使節を呼び出した。使節たちが行ってみると、そこにはカタリーナ妃とともに、次男のドゥアルテ公が着物を着て待っていたという(着付けはめちゃくちゃだったようだ)。