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使節の旅 1582年12月



12月31日(月) マカオを出航

 使節を乗せた船は再び帆をあげ、マカオを出航した。このときマカオの港には、リマの船の他にインドに向かう船が2隻あった。1隻はシナの船、もう1隻はポルトガルの船である。2隻とも、リマの船より大きく、嵐にも耐えうるものであった。ポルトガル船の船長は使節とヴァリニャーノが自分の船に乗り移ることを希望したが、ヴァリニャーノはリマの船を選んだ。しかしポルトガル船長の気持ちにも応えるため、別のイエズス会士を2人、ポルトガル船に乗せた。

 マカオからマラッカまでの航路は東洋において最も奇異で、危険なものである。湾には激しい風が吹きすさび、海岸の近くでなくても暗礁や小島が多い。広い砂州もあるせいで、その間の水路は流れが速く、常に波立っているところがある。積荷が多く小さい船はこれに対抗することができない。一緒に航海していた船が引いていた小舟は転覆し、水夫と乗客のうち16人が溺死した。

 使節が乗っていた船は大波のため後部を破壊され、次第に沈み始めたので積荷を海に投げ捨てて浮き上がる必要が生じた。船尾はことごとく破壊され、夜中、使節たちのいる部屋に波が侵入してドアを破壊し、室内にあったものがすべて濡れてしまった。使節は上部の船室に避難し、その間に船長が修繕を行い、水が入ってくる穴をふさいだ。そのため沈没は免れた。



(2014.1.19 修正)
(2014.1.13 作成)


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