恋風旅路 >> 恋風旅日記 >> 長崎旅日記2 >> 1日目


+1日目+(長崎空港〜大村〜島原)

〜今回は母と一緒です〜
眠い…前日、普通に残業だったため、寝不足気味。なんだかムニャムニャ言いながら家を出発。最寄りの駅に着いたら、母は1本早い電車に乗ろうとしていた。しょっぱなからこんなので大丈夫なのか…。
「せっかちだからさあ。アハハ」
母の言い訳。内心不安になる私。どうか無事に着きますように…。

〜挙動不審親子〜
空港までは無事に移動。母は飛行機が初めてで、ちょっとビックリしているようだった。機内に入り、着席。周りの様子が気になるのか、やたらキョロキョロしてる。私はというと、客室乗務員の人が何をしているのかが気になり、やたらキョロキョロしている。キョロキョロ親子が発生した。気をつけて下さい。飛行機は無事に離陸。私たちはスクリーンの前の席に座ったため、「テーブルがない」などとささやいていたら、乗務員さんが飲み物サービスの時に教えてくれた。ひじ掛けの中に収納されてるんですね。誰が考えたんだろう、頭いいなあ。二人ともしばし睡眠をとり、飛行機は長崎空港へ。

〜着たよぉぉ〜
ついに長崎へ着陸、バスで大村へ。途中、使節の像がある所で母に教えた。
「ああ、あんな所にあるんだねぇ。」
テレビでも使節のことをやってたし、私がことあるごとに騒いでいるので、どういう人たちなのかがいい加減わかってきたらしい。よかったよかった。大村の駅前でバスから降り、荷物を預けて出発です。前回見逃した、「天正夢広場」に向かいます。

〜意外と近かった〜


からくり時計。
動くのが見たい〜。

時計の側面にある4人のレリーフ。
「勇気ある少年たち」と書かれています。

長崎港出港のタイル。

ローマ到着のタイル。

母は電車の時間まで数十分しかないのが不安だったらしいが、広場にはすぐに着きました。すごい、こんな夢みたいな広場は初めてだ。(あ、だから夢広場?)しかし夢みたいだと思うのは私だけであり、ベンチでは学生さんや近所のおばさんがくつろいでおられました。使節のからくり時計があるよ〜、家に欲しい。毎正時にからくり人形が出てくるそうなのですが、私はその時間までいられませんでした。残念。時計のまわりをぐるぐると何周もして、やっと出発。公園には見なれない紫の花が咲いていた。

〜秩父…〜
大村から電車に乗り、諫早へ。母は「景色が秩父に似ている」と言っていた。確かに…。海がなければ結構似てます。でもやっぱり、雰囲気がちょっと違うような気がします。でもこれから乗る島原鉄道には、「秩父が浦」って駅があるんだよね。何もないと思うけど、何か繋がってたらすごいなあ。さて、秩父のことは置いといて、諫早駅で島原鉄道に乗り換えです。この乗り換えというもの、よそから来た者にとっては少々難しい。母は改札を出ようとしていたので急いで引き止め、島鉄のホームに向かいました。私も「乗り換えてしまっていいのか?」とちょっと迷ったのだが、整理券を取ってそのまま乗ってしまいました(間違えてたら誰か教えて下さい)。

〜鯉のぼりの季節です〜
島原鉄道は、島原半島の東側を海岸沿いにぐるっと走っています。私たち親子は内陸から来たので、この「海岸沿い」という言葉に異常に反応。「海見えた!」「どこどこ!?」と、車内で大騒ぎ。海はエメラルドグリーンで、エーゲ海を思い出した(行ったことないけど)。雲一つない空、新緑の中に鯉のぼりも上がってて、いい季節に来たなあ。島原までだいぶあるので、母は騒いだあと昼寝をしていた。

〜おくんち〜

島原駅は武家屋敷風でかっこよかった。

無事に島原到着。島鉄では降りる時にお金を払いました。路線バスのような感覚です。島原駅を出ると、目の前に島原城が!コインロッカーに荷物を預け、早速お城へ向かいます。建物が見えるので、お城までは地図なしでも行けます。ツツジが咲いててきれいだけど、坂道は結構キツイ…。ふぅふぅ言いながら登りきり、天守閣の中へ。入り口に「長崎ピンズ」のガチャガチャがあったので、やってみました。私は「おくんち」ピンズを手に入れた。やったぞ。母の話によれば、昔、彼女の母校におくんちが来たそうな。いいなぁ、私も見たい。テレビと写真でしか見たことがない。

〜聖徳太子じゃないんだから〜

島原城。「総塔風塗込式」という、
飾りのないシンプルな建築様式だそう。

島原城は別名森岳(もりたけ)城とも呼ばれ、有馬氏が日向の延岡に移封されたあと、ここに入った松倉重政によって、1618年から7年あまりかけて建てられたそうです。松倉って…私の中ではあまりいい人な方ではないなあ…。島原・天草一揆も、この人の重税のせいで起こったんじゃなかったかなあ…。それはともかく、入り口でレシーバーを受け取り、展示室へ入る。レシーバーが説明してくれるのはいいのだが、なぜかいろんな人が喋っててメインの説明がよく聞こえない…。私は聞くのをやめた。諦めが早い。ちゃんと聞き取れる方法があったら、どなたか教えて下さい。でも島原の子守唄が聞けたのはよかった。本で何回か読んだのだが、どういう歌か知らなかったのだ。母はなぜか知っていた。
※後日談…千々石ネットさんによると、松倉重政は千々石に堤防を作り、防砂林を植えてくれたそうです。さらに、最初はキリシタンを見逃していたという事実が発覚。勉強不足でスミマセン。

〜おぬし、なかなかの腕前〜
展示物を見ていたら、あとからやってきたおばちゃんたちが、大声で島原の子守唄を歌っていた。そして最初は一緒にいた母が、なぜかどんどん遠くに…。私は何かを見るたびに、「これを作った人がいて…これを使った人がいて…これを見た人がいて…」と、思いを馳せてしまうので、見る時間が人の2〜3倍くらいかかることが最近になってわかった(もちろん興味のないものなら、時間はかからないと思うのだが…)。しかしガイドブックの時間の目安があてにならないのはちょっと辛い。お城の展示物で私が気に入ったのは「切支丹つば」。刀の持ち手と刃の境目についてるアレです。家紋なんかのデザインを見ていても思うのだが、昔の人はデザインがものすごく上手ですね。切支丹つばもさりげなく十字が入っていたりして、「なかなかやるな」とうなってしまうのでした。

〜素敵なお人☆〜
島原城には、島原・天草の乱の資料がたくさん展示してあります。天草四郎の美しい肖像画も…こんな人がいたら、私もついて行きますよ。彼には一時期前に流行った、カリスマ性というのがあったのだろうなと思います。なんというか、オーラが感じられる気がする。乱に参加した人数が村ごとに表になっている資料もあり、驚きました。一の位までの数字が書いてあるの。よく数えたなあ…。村びと全員が参加した村もいくつかあり、乱後は島原半島の人口が激減したというのもうなずけます。

〜コラー!〜
さて、私たちはお城の2階へ。ここでは鎧や、殿様が小さい頃にあそんだ人形などが展示されていました。たぶん2階の展示品だったと思うのだが、殿様が罪人を解剖させて描かせた解剖図があった。皮を切り開いた状態と、胃や肺などの内臓を描いたものがあったのだが、両方とも下半身が隠されていた。最初は気にならなかったのだが、明らかに隠されている。丸い鍋敷きみたいな木の板で、明らかに隠されているのだ。気付いてしまった瞬間から、かなり気になりだした。またもや別行動をとっていた母と合流。
「解剖図見た!?」
「見た見た、あれでしょ?面白いやつ」
どうやら母も気がついていたらしい。しかし面白いとは…確かに面白いのだが…申し訳ないです。母は帰ってきたあとも「あれは面白かった」と言っていた。彼女にとっては島原の乱なんてどうでもよく、ただ「隠されていた」という事実だけが大事なのだ。

〜秩父再び〜

天守閣からの眺め。
下に島原駅が見えます。

さて、解剖図事件が一段落したあとは天守閣の最上階へ。島原駅の向こうに、海が見える…。素晴らしい景色です。地元では見ることのない、珍しい景色です。天気も晴れで過ごしやすく、快適です。本当にいい季節にきたなあ。
次は天守閣の隣にある、北村西望記念館へ。記念館のすぐ前に、西望作の天草四郎像があったので、早速写真をパチリ。隣には馬に乗った、かっこいい信長像もありました。さて、記念館の中へ。1階は大きな像が飾ってあり、上には比較的小さな像が展示されていました。西望は小さな像も作ってるんだねぇ。平和祈念像とか、千々石にある橘中佐の像しか知らなかったので、ちょっと新鮮でした。大きい像を作る前に、小さいのも作るのかな。母は「西望って秩父に疎開してたんじゃなかったっけ?」と言ってたので、「また秩父の話かよぉ」と、ちょっとうんざりしていたら、記念館の中の年表にきちんと書いてありました。西望も長崎と秩父が似てると思ったのだろうか。

〜実力を思い知った〜

西望作の天草四郎像。
お顔の雰囲気が平和祈念像に似てる。
彼も平和を祈っているのだろうか。

1階にある像の中で、母が「今にも起き上がってきそう」とおびえていた像がありました。男の人が立ち上がろうとして、ちょっと前かがみになって前を見据えている像だったのですが…私もなんだか圧迫感というか、力を感じました。彫刻のことはよくわからない素人にも、こんな感情を抱かせるなんてすごい。圧倒されながら記念館をあとにしました。ちなみに最上階には西望の手紙や、教員時代の資料が展示されています。

〜我ら昭和人〜
案内版に導かれるまま小道を歩き、次は民族資料館へ。ここには明治・大正・昭和の道具が展示されていて、無料で入場できます。母と一緒だったので、昔の話がたくさん聞けました。蚊帳の色はなぜか緑と赤だったとか、自転車のサドルは皮だったとか、ちょっとしたことだったけど面白かった。1人で来てたら、「古いなあ」しか思わなかっただろうな。しゅろの木の繊維みたいなのでできている、蓑も気になった。蓑はワラだとばかり思っていたので、違うものも発見して驚きました。

〜テレビが来たよ〜

キリシタン墓碑。
十字が残っているのはまん中の1つのみ

最後におみやげをちょっと見て、私は名物と書いてあったアイスを食べ(何の味だったのかよくわからないが、シャーベットみたいでおいしかった)、お城をあとにしようとしたら、面白いもの発見。フジテレビ「もしもツアーズ」の顔はめパネルである。母は「そういえば、空港でフジテレビ衣装部って書いてある、でっかいトランク持ってた人がいたよね」とはしゃいでいた。私もそれは見たのだが、同じフジテレビのドラマかと思っていた。もしツアだったのかな。私はそれより、パネルの後ろにある「キリシタン墓」が気になっていた。かまぼこ型で、十字が彫ってあるの。いくつかは十字の部分がさらに彫られて消されてたけど、これは貴重なものを見ました。顔はめも気になったけどね。

〜人間かと思ったの〜


まっすぐに続く武家屋敷跡。
昔は「鉄砲町」と呼ばれたそうな。

公開中の鳥田さんち(だったかな?)
入り口。こじんまり。

さて、次は武家屋敷跡に向かいます。これも案内版が曲り角ごとに立っていて、大体の方向だけ頭に入れておけば迷わずに行けます。道が結構入り組んでいましたが、無事到着。すごいですよここ、石の生け垣が昔のまま、まーーっっすぐ残っていて、まん中には水路が流れています。ここを流れている水は、昔、飲料水だったそうです。武家屋敷だった所には普通の家が建っていますが、昔のままの屋敷を公開している所が3軒ありました。どこもこじんまりしていて、いい感じの家だ〜。それもそのはず、ここはそんなに身分が高くない武士が住んでいたそうなのです。私としてはこのくらいの家が好きです。3軒とも家の中に人形がいて、私も母も「わっ、びっくりした…」と2軒目まで言ってました。3軒目は「また人形がいるに違いない…やっぱりいた」と、さすがに驚かなかったが…しかしあれはビックリしたなあ。見に行く方は気をつけて下さい。

〜可愛いカップル発見ですよ〜

一段下がって、堀に降りられるようになっている場所。
母は「ここで洗濯した」と言ってた。嘘だ。

春らしく、ここではトカゲを3匹見つけました。2匹は武家屋敷の裏で、カップルでご登場。1匹は水路の横にいらっしゃいました。トカゲ久しぶりに見た。小学生の頃は、よくトカゲのしっぽを踏んでたなあ。残酷な子どもの遊び。たいていはしっぽが切れて本体は逃げるんだけど、ある日、切れたしっぽの方が動いてて、本体はピクリとも動かなくなったトカゲがいた。恐くなって友達と二人で全速力で逃げたけど、こんなことってあるのだろうか。そんなことを思い出して、1人ちょっと懐かしくなった。

〜ドラマ〜
急いで駅に戻り、また島鉄に乗ります。電車の中では、地元の学生さんが長崎弁でしゃべってました。
女の子「サヨミと付き合っちょうと?」
男の子「なんで知っちょるん?」
あああ…かっこいい…。母は電車を降りたあと、「本当にドラマみたいに喋るんだねえ」と嬉しそうに言ってました。方言も喋れて、標準語も話すよね。素晴らしいです。私も九州弁を喋りたいが、今となっては努力しないと無理であろう。英語を話すのと同じ感覚。

〜ホテルの従業員さんは大変だ〜
さてさて、島原外港の駅で下車し、今日の宿へ。本日は島原観光ホテル小涌園にお世話になります。ホテルのお姉さんが部屋まで荷物を運んでくれたのだが、途中の階でエレベーターのドアが開いた時に、階段を駆け上がる音が…お姉さんはエレベーターに乗ってないし、まさか、荷物を持って階段を駆け上がってたんじゃ…しかし泊まる階に着いてドアが開くと、お姉さんは平気な顔で待っていた。すごい…ほんとお疲れさまです。部屋に案内されて一息つくと、母が置いてあった木のパズルを持ち出した。「これやってみれば。」4つの形を組み合わせて、何種類かの形を作るというものなのだが、私は1つしかできなかった。あのパズル欲しいなあ。

〜六兵衛さん〜
ここは露天風呂があるので、人がこないうちにと、夕飯前に早めに入りに行った。初露天です。景色がよく見える〜。海は本当に広い。夕飯の時間が迫っていたので早めにあがり、母と一緒に1階のレストランへ。やはり夕飯は豪勢で、食べている途中にも茶碗蒸しやら刺身やらが運ばれてきました。私の好きな魚介類ばかりで、とても嬉しい。島原名物の具雑煮と、六兵衛もいただきました。六兵衛は見た目おそばのようで、食べてみるとサツマイモの味がします。江戸時代に島原が飢饉になった時に、六兵衛さんが考え出したとか。芋大好きな私だが、味オンチのため最初は何だかわからなかった。しかし母が「サツマイモだ」と言ったので、もう一度食べてみたら本当にサツマイモ。母は「料理はおいしいけどしょっぱい」と数回ボヤいていたが、私は全くそんなことはなかった。母娘でも、味覚に結構な差があることが判明した。私が味にこだわらないせいなのか、はたまた私の舌が異常なのか。さては亜鉛不足…。

〜気温上がる〜
部屋に戻ると、布団が敷いてあった。母は「布団が敷いてある!」と驚いていた。確かにちょっとビックリするよね。私は足が冷たくなってしまったので、部屋の風呂場で足湯だけして就寝。しかし夜中は暑くなり、布団を蹴飛ばして寝ていた。



+2日目へ+(島原〜長崎市内)

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