千々石町ミゲル顕彰碑裏の碑文


 千々石釜蓋城主、千々石大和守直員の遺子で、千々石清左衛門直員といい、聖名をDON.MICHAEL(ドン・ミゲル)といつた。
 天正10年(1582年)、13歳にして、領主有馬侯並びに大村侯の使者に選ばれ、大友侯の使者伊東祐益と共に、副使中浦、原を伴ない、いわゆる遣欧キリシタン使節として、長崎を出発、遠く二万海里を航し、世界の権威者ローマ法王に謁見した。
 法王からは、東洋チパンの珍客として君主のもてなしを受け、ローマ市民権を与えられ、ついで欧州各地を巡歴したが至る所で歓待をうけた。かくて8か年の歳月を要して無事帰朝し、太閤豊臣秀吉にも謁見報告して、その大任を全うした。
 思うに日本人として、初めて西洋の地をふみ、先進文化を輸入し、日本を彼の地に紹介した最初の人で、その功績は永く日本文化史上に輝くであろう。
昭和35年 5月 建之
建設者 千々石町小倉名
発起者 城台鹿次



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