天正10年(今から約400年前)13・4の少年4人は(随員3人とともに)日本人として初めてヨーロッパに使いしローマ法皇に拝謁した。
往路はインド洋、アフリカ南端を経て3年半
ポルトガル・スペイン・イタリアでは日本の貴族として大歓迎を受け日本人の優秀さを示し西洋の華やかな文化に接した。
かくて万里の波涛をのり越えて無事長崎へ帰ったのは実に8年5ヶ月後であった。
北イタリアのボローニア元老院日記には「ドン・マルチノ・原、波佐見の町に生れたる公子 中務の子、16才」と記されてある。
原マルチノは語学の天才でありわが国に活字印刷をもたらしイソップ物語、聖書などを初めて世に出し文化史上不滅の功績を残した。
のち追放されてマカオに渡り彼の地に眠る。