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使節の旅 1585年6月

6月26日(水) ヴェネツィアに到着

 使節は大統領のピアッタ船3艘に乗り、ヴェネツィアの町へ。この船は特殊な船で、豪華な装飾が施してあり、王侯の歓迎のために使われるものである。ゴンドラがこの船のまわりにたくさん集まってきた。使節を迎えた議員らは、使節が宿舎に直行するのを許さず、迂回してサン・マルコ広場に面する地点から、ヴェネツィアの最もよい場所に沿って流れる大運河を通過し、ジュデカの運河を静かに漕いで進んだ。こうして日中はほとんど船に乗って過ごした。家々の窓や岸辺には、人々が集まって見物していた。
 夕方になって、使節はイエズス会の宿舎に到着した。議員らの案内でイエズス会の会堂に入ると、サン・マルコ大聖堂の聖歌隊によって「テ・デウム・ラウダムス」が荘厳に歌われた。次に別の一室に案内されたが、その部屋は既にヴェネツィア市の命令によって立派に飾られ、豪華な調度品がそろえられ、床には精巧なトルコ絨毯が敷き詰められていた。食卓では優雅な音楽が演奏され、聖歌が教会におけるよりも見事に歌われた。
 夜、教皇の大使の訪問があった。    


6月27日(木)

 昼食後、各国大使が使節を訪問。ヴェネツィアの総大司教をはじめ、ドイツ皇帝の大使や諸国の大使・貴顕の人々もやってきた。                              


6月28日(金) ヴェネツィア大統領を訪問

 この日、ヴェネツィア大統領と使節の公式謁見が行われた。正装の議員が30人、更に豪華に飾られた以前のピアッタ船を連ねて住院にやってきて、使節を迎えて宮殿に案内した。
 宮殿では、全ての広間が群衆で埋め尽くされ、その間を簡単に進む事ができないほどだった。
 使節は日本の着物を着ていた。一方、大統領は黄金の刺繍を施した上着で、真珠、ダイヤモンド、ルビーなど、価値の高い宝石を黄金にはめこんである装飾品を身につけていた。
 大統領は数段高いところに置かれた豪華な椅子に座り、その両側には議員たちが紫色の服を着て長い列を作って並んでいた。
 大統領ニコロ・ダ・ポンテは年齢95歳に近い老人で、白髪に穏やかな顔つきで、威厳を備えていた。使節が入ってくるのを見て、大統領は椅子から立ち上がり、他の人々も立ったまま使節を迎え、腰をかがめて挨拶した。
 大統領が着席すると、使節のうち2人はその右にある、議員たちの上席にあたる美麗な椅子に座り、他の2人はもう一方の側に着席した。彼らがまず日本語で述べたことを、メスキータ神父がイタリア語で通訳した。
 こうしてしばらく交流したあと、使節は大統領に日本の服一揃えと刀を一振り、それから脇差を贈った。大統領や議員は大いに感謝し、長く記念とするため、これを倉庫にしまい込まずに、名誉ある場所に置いて、その下に記録を残して公衆に見せることにした。
 使節が日本語で語ったり、大統領に贈物をしている様子を見て、遠くからはるばるやってきたことを心に浮かべたせいか、多くの議員たちは涙にむせていた。
 公爵や貴顕の人々に別れを告げてから、使節一行は武器室と十人議会室の二室、それから世界最大のものの1つであるヴェネツィアの宝庫を見物した。
 また、絹織物商や金銀細工師、宝石商などの商店も見に行った。大統領の命令で、商店は最も美しく豪華な商品を並べて彼らに見せた。店は全て華麗な刺繍を施した豪華な掛布で飾られていた。
 昼食のあと、ゴンドラでムラーノ島へ案内された。聖遺物や美しい庭園を見るためだった。そこはガラス細工が有名で、ガラスを加工する様子をしばらく眺めて過ごした。
 その他、諸聖堂など全ての敬虔な場所を訪問したが、使節が行くところは常に多くの市民が集まっていた。


6月29日(土) 聖ペトロ・聖パウロ使徒の祭日

 使節一行はサン・マルコ大聖堂でミサに参列した。それから250人の元老院議員の会議を傍聴した後、市庁舎へ案内された。ここから行列を見るためである。
 この行列は毎年6月25日、聖マルコの出現を記念して行われているものだが、使節の来訪が近いということで、この日まで延期されていた。
 この豪華な行列には全ての宗団、宗派、コレジオと修道者の団体が参加し、その数は驚くべき数に達した。どの修道者も聖職の服を身につけ、服装は華麗を極めた。
 行列の所々にソライと呼ばれる大きな聖櫃があり、聖宝をその上に飾り、修道者がそれを担いでいる。これらの聖櫃はどれも、300に及ぶ宝石をちりばめ、黄金、真珠などで飾られていた。
 また、行列のなかには、像を乗せて運んでいる大きな輿もあった。この像は旧約・新約聖書にある有名な物語や、聖人の殉教談・伝記を表しているものである。最後には、使節が教皇に謁見している様子を表したものもあり、これが一番美しく作られていた。
 工夫された輿が通るときには、使節がいる窓の前でしばらく停留させ、一行がよく見物できるように配慮がなされた。特に、多くの金・銀・宝石を満載した輿が通ったときには、留まっている時間も長くとられた。
 行列のあと、宿舎で立派な朝食が用意されたが、時間が遅くなっていたので昼食を兼ねることになった。    


6月30日(日)

 大会議室にて歓迎される。                              




(2014.8.17 作成)
(2014.8.24 追加)


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