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使節の旅 1583年4月



【4月2日(火)】 インド内を陸路で移動

 使節一行はインドの習慣に従って、馬や他の動物を使うことなく、4人のインド人が担ぐ寝台で、陸路トラヴァンコールの海岸に向かった。こうして異教徒の土地を通過したが、無事にポルトガル人の城があるコウランに到着した。
 今日はここにあるイエズス会の住院で一泊することになった。


【4月3日(水)】 使節は海路コチンへ

 コウランからは陸路より海路の方が安全と思われたため、船を見つけてコチンへ向けて出帆。

 そのころ、メスキータ神父は、同じように病気になっていた日本人同伴者と一緒にいたが、少し回復してきていた。使節と合流するため、使節がたどった陸路を、インド人の担ぐ寝台で進んでいた。
 しかし、夜遅くにモロ人たちの地に到着し、さらに進むことができなくなり、ここで宿泊しようとしたが成功せず、木の下で休むことになってしまった。モロ人の1人に金銭を渡し、メスキータ神父と同行者の分の食物を少し手に入れたが、やはり危険を感じ、ここで夜を過ごすことは不安なことに思われた。担ぎ手のインド人たちは大丈夫だと言ったが、信用できなかったため、反対を押し切って進むことにした。
 しばらくして鬱葱とした森に到着した。昼間でも恐怖を抱かずにいられないようなところである。噂によると、この森は盗賊の巣窟で、旅行者は物をとられ、しばしば殺害されたりする場所だそうである。そのような話を聞いて危険を想像していると、黒い裸体の男が二人、姿を現した。一人は剣と盾、もう一人は大きな槍を手にしていた。彼らはパードレたちを見て恐ろしい声を上げたが、何もせずに去っていった。


【4月5日(金)】 メスキータ、コチンへ

 メスキータ神父たちも乗船、コチンへ向かった。しかし、小さな船に乗ったため、海岸を離れるとすぐに、大きな波のために沈没しかけた。メスキータたちは病み上がりの身で頭から水を被り、激しく苦しんだ。その後、幸いにも船は順調に進んだ。


4月7日(日) コチンに到着

 使節一行は、コチンに到着した。毎年、この地では冬のはじめに起こることだが、港の入り口が砂で塞がれていたので航海できず、再び開くのを待つために、コチンの住院に滞在することになった。
 この期間、使節たちはラテン語、器楽、唱歌の練習に励み、東洋におけるポルトガル人の発展史や、インドにおけるイエズス会の布教事業について教わった。     


4月11日(木) メスキータ、コチンに到着

 メスキータ一行もコチンに到着、使節と合流した。使節一同はメスキータを心配し、途中で不幸があったのではないかと考えていたので、無事に合流したメスキータをおおいに喜んで迎えた。     




(2014.1.26 作成)
(2014.2.16 追加)


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