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諌早 いさはや

コンスタンチーノ・ドラード像
こんすたんちーの・どらーどぞう

 天正遣欧使節の随員、コンスタンチーノ・ドラードの像。
 ドラードは1567(永禄10)年ごろ諌早で生まれ、捨て子だったのか教会で育てられたという。日本名がないため混血児との説もある。ヨーロッパで活版印刷術を学び、日本へ持ち込んだ。まめな性格らしく、旅先で細かい記録を残している。
 ドラードが印刷に関わった本は20冊近くあり、一部は「天草本」と呼ばれている。

>>アクセス
諌早市立図書館入口入ってすぐ。玄関ホール(?)のような所に置かれています。
図書館へは島原鉄道「本諌早」駅下車。そこから徒歩で行けます。
諌早駅からは徒歩20〜30分くらいかかります。

コンスタンチーノ・ドラード像写真


千々石清左衛門の墓
ちぢわせいざえもんのはか

 天正遣欧使節の1人、千々石ミゲルのものと思われる墓。近年発見され、まだミゲルのものとは断定されていない。
 表面には男女のものと思われる2人の戒名、裏面には「千々石玄蕃允」の文字が隅の方に刻まれており、ミゲルの息子が建てたものではないかといわれている。
 向かって左手後方に小さな墓石があり、こちらは家臣の墓と伝えられている。

>>アクセス
JR大草駅から歩いて30分ほど。大草駅から進み、琴海中学校を通り過ぎると案内板があります。そこを左折し、田んぼの中の道を線路の土手に近付くように進むと、線路の下をくぐるトンネルが2つ出てきます。川を越えて、奥のレンガのトンネルをくぐると、右手の斜面に墓石があります。

コンスタンチーノ・ドラード像写真


熊野神社
くまのじんじゃ

 天正遣欧使節の1人、千々石ミゲルの終焉の地とされている場所。その昔、「千々の宮大権現」という呼び名があったという。
 ミゲルはヨーロッパから帰国後、バテレン追放令で大村喜前が棄教した際、一緒にキリシタンをやめ、イエズス会からも除名されている。その後、結婚し、子どもにも恵まれたが、仕えていた喜前から疎まれ、親戚の有馬家からも見放され、転々と居場所を変えていたようである。

>>アクセス
JR大草駅から歩いて20分ほど。伊木力小学校近く。交番(伊木力出張所)の隣に鳥居があったと思います。

コンスタンチーノ・ドラード像写真

<2006.01.04 更新>

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