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「マグダラのマリア」といえば、絵画にも描かれ、ちょっと前に流行った『ダヴィンチ・コード』にも出てきていたようですが(小説は読んでないうえに、映画は途中で寝てしまったので内容がほとんどわからない)、そのマリアが住んでいたと言われるのがマグダラです。マグダラ(ミグダル)は「塔」という意味だそうです。 マグダラのマリアはイエスに7つの悪霊を追い出してもらい、その後、弟子としてつき従っていました。イエスの磔刑のときも近くにいて、復活後に最初にイエスが姿を現したのも、この女性の前だと書かれています。なんか、重要な役割をもってたんでしょうな。世間では何やらロマンチックな感じで騒がれてるけど、聖書では淡々と書かれてます。だからいろんな解釈ができるんですね。 ■タブハ 「7つの泉」という意味をもつタブハ。現在は泉の数が3つになってしまったそうですが、ここにも聖書にちなんだ教会があり、見どころたくさんです。 ●山上の説教の教会 「至福の山」という名前の丘に建つのは、山上の説教の教会です。ガイドブックには「山上の垂訓教会」と出ています。
山上の説教とさきほどから言っていますが、内容は「マタイによる福音書」5〜7章に載っています。「心の貧しい人々は、幸いである」という内容から始まり、キリスト教の教えとしてよく言われる「敵を愛しなさい」ということや、「求めなさい。そうすれば、与えられる」といった言葉も、全てここで出てきます。さらに、カトリック信者が大切にしていて、ミサで必ず唱える「主の祈り」も、ここで教えられています。 私は心配性なので、山上の説教に入っている「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」という言葉に、だいぶ救われてます。今悩んでもどうしようもないこと(例:明日はあの仕事やらなくちゃ、あっちも片付けて…)が頭をよぎると、「まあ、明日考えればいいか。今は何もできないし」と思い直すことができるようになってきたかな。意識しないと切り替えできないけども。
余談ですが、この日はこちらの聖堂でミサが行われました。でもこれが旧式の祭壇なので、先生がかなりやりにくそうにしてました。このとき見ていて違和感がありましたが、旧式だからだったのかと理解するのは数年後…。 ※旧式って?と気になる方はこちら↓ (使節あれこれ その2-2)ミサいまむかし(別ウィンドウが開きます) こちらの教会は庭が広く、散策も楽しめます。
●パンと魚の奇跡の教会 聖書にはイエスの様々な奇跡について書かれていますが、有名なものの1つが、五千人に食べ物を与える奇跡です。その場にはパン5つと魚2匹しかなかったのですが、イエスが賛美の祈りを唱え、弟子たちに渡し、弟子たちが群集に与えると、すべての人が食べて満足した、という内容で書かれています。この奇跡を記念して建てられたのが、パンと魚の奇跡の教会です。現在はドイツ系のベネディクト会の教会になっています。
●ペトロ召命教会 イエスとペトロの出会いの場に建つのが、ペトロ召命教会(ガイドブックでは「ペトロ首位権の教会」)です。イエスがペトロとアンデレの漁師兄弟を弟子にする場面は、「マタイによる福音書」4章18〜20節などに出てきます。
ペトロ召命教会の内部には、大きな岩があります。これは復活後のイエスが弟子たちに食事を与えたときに、食卓となった岩とされています。このときの話は、「ヨハネによる福音書」21章で出てきます。イエスは復活したあと、ユダヤ人を恐れて隠れていた弟子たちの前に現れます。さらに2回目には、漁をしていた弟子たちに現れます。弟子たち…イエスの死後は元の仕事に戻っていたようですね。 私はなぜかこの弟子たちに親しみがわくのですが、それはこの人たちが人間的だからかもしれません。ガイドさんのお話の中で心に残っているのが、ユダとペトロの話です。二人とも、違った形ではありますが、イエスを裏切っています。ユダは死んでお詫びをし、ペトロは生きて償いをしたということでした。どちらも苦しんだんだろうなと思うと、何ともいたたまれない気持ちになりますね…。
この教会の庭には、イエスとペトロの像もあります。なんと、浜辺で遊んでいたので見逃した…ガイドブックによると泉の跡なんかもあるらしいですよ(ほとんど何も見てないことが判明)。
(余談) この教会を訪問した9月10日は、日本205福者の祝日だったため、ミサのときの司祭の服が赤になる。この祭壇の前で座って待っていると、緑の森の中を、先生が赤い祭服を風になびかせながら、聖堂の方から歩いてくるのが見えた。なんかかっこよくて、その姿がやたら印象に残った。このミサでは、友人と一緒に「マラナタ」を歌わせてもらった。明るくて楽しい日本語の歌なので、歌いやすくておすすめです。興味ある方はぜひ。 ■カファルナウム かつて国境の町だったカファルナウムは、イエスの公生活の中心だった地とされています。イエスの時代には、ガリラヤ湖周辺では最も大きな町で、人口が4万人くらいだったそうです。その一方で、異邦人と接することを嫌う当時のユダヤ人のあいだでは、「死の地」「暗黒の地」とされていました。
カファルナウムには町の跡などの遺跡がたくさん残り、発掘・整備されていました。
「マルコによる福音書」1章21節では、イエスが会堂(シナゴーグ)で汚れた霊を追い出す話が出てきます。その続きの29節には、イエスがペトロのお姑さんの熱を下げる話が載っています。この話は「マタイ」や「ルカ」にも出てきますが、「ルカによる福音書」の書き方が一番面白い。ペトロの姑が高い熱に苦しんでいたので、「人々は彼女のことをイエスに頼んだ。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。」(「ルカによる福音書」4章38〜39節)…ん??熱を叱りつける??なかなかないですよ、熱を叱りつけるなんて。まあ、風とか湖も叱りつけてるくらいのイエス様ですので、熱にも叱るのが普通なんでしょうな。真面目に想像したら微笑ましい光景に思えた。 それはともかく、ペトロの姑の家の上には教会が建てられたそうで、現在はさらにその上に新しい教会が建っています。
■ガリラヤ湖 今回のツアーでは、ガリラヤ湖の遊覧が組み込まれていました。水は恐いけど、船の開放感は気持ちよくて好きな私。ちょっと楽しみです。
お昼ご飯には、ピーターさんの魚をいただきました。
このピーターさんの魚ですが(この呼び名をあえて使っているのは、私の旅メモに書かれているからです。たぶん添乗員さんか誰かが呼んでたのを気に入ったんだと思う)、現地では「ペトロが捕っていた魚だ」としか聞いていなかったのだが、あとでガイドブックを見たら聖書にも出てくるらしいことが判明。魚をとるシーンはあるけど、そのことを言っているのかな?? さて、ピーターさんの魚のあとはヨルダン川の洗礼ポイントに向かいます。 まずは、バスから急いで撮ったヨルダン川。
続いて、整備された洗礼ポイント。ガイドブックを見たら、ヤルデニットという場所だったようです。「ヨルダン川」としか認識していなかった私。
イエスはヨルダン川で、洗礼者ヨハネから洗礼を受けました。同じ川の水で洗礼を受けるため、多くの人が集まってくるようです(もしくは、洗礼を受けてるけど川に入りたいだけかも)。ここでは頭まで水に浸かるタイプの洗礼になるのかな??カトリックはオデコにちょろちょろと水をかけるだけなので、着替える必要はありません。なんともお手軽感があります。 同じツアーの方が、「ねえ、洗礼受ける気ない?先生が今授けて下さるって」と、信者でない二人組の友人と私に話して下さったが、友人も私も「いきなりはねー…」みたいな感じで濁して終わった。その方によると、知り合いの人がずっと洗礼を受けたいと言っているが、それがなかなか叶わないというお話だった。その人のタイミングみたいなものがあるのかなあ。 で、その後腹痛を起こし、トイレに駆け込む事態となったので、ここは「腹痛が起きた場所」として、その後も私の中で印象に残り続けることになる(後日聞いたところ、ツアーの中のほとんどの人が同時に腹痛を起こしていた。直前に行ったレストランの水が悪かったのかも、と噂になった。私は必ずミネラルウォーターを飲むようにしていたが、このときは出すのが面倒でテーブルにある水を飲んでいたし、ワインを飲んでいた先生は腹痛が起きなかったので)。
腹痛という爆弾を抱えつつ、ホテルに無事到着。その後もトイレに何度も行きっぱなしだったが、友人もバタバタしているので「お腹痛いんだよね」とカミングアウトすると、彼女も同じだったことがここで判明。「夕飯はあとにしよう」ということになり、腹痛が落ち着いたころに湖へ行ってみることに。
腹痛もだいぶ落ち着いてきて、あたりが暗くなってきたのでホテルへ戻ることに。夕飯の終了時間まで少し余裕があったので、「食べられそうなものをもらおう」という話になり、バイキングへ向かう。遅い時間だったのでツアーメンバーの方はいないと思っていたが、なんと見つかってしまい、ニヤニヤしながら挨拶。念のため少なめの夕飯をいただき、お腹に不安を抱えながら夜は更けていくのでした。
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