恋風旅路 >> 恋風旅日記 >> イスラエル旅日記 >> エルサレム2
聖書の内容が書かれた「十字架の道行き」の小冊子が事前に配られていた(旅行会社さんが作って下さったらしい)ので、それを代表者が朗読し、先生が祈りの言葉を唱え、ところどころガイドさんの説明を聞きながら進みます。設置されたポイントは日本語では「留」と呼ばれ、全部で14箇所。偉そうに言ってるが、説明を聞いていたときは「リュウ」の漢字がわからなかった私…「流」しか浮かばず、英語の「ステーション」の方で理解。 「第1留 イエスはピラトに裁かれた。」 ピラトはローマ総督で、ローマ帝国領となったエルサレムを見張りに来ていました。そこへイエスが連れてこられたわけですが、ピラト自身はイエスに罪はないと見ています。しかしユダヤ人たちの激しい反発にあい、ついに十字架につけるためにイエスを彼らに引き渡しました。
第1留と第2留はすぐお向かいにあり、フランシスコ会が管理しているそうです。同じ敷地内に聖書考古学研究室の建物もありました。 「第2留 イエスは十字架を担われた。」 死刑宣告を受けたイエスは十字架を担います。実は刑場に縦木が立っており、担ったのは横木だけだったという説もあります。しかし十字架はキリストの象徴でもありますので、ここでは気にせず進みましょう…。
「第3留 イエスは初めて倒れられた。」 第3留にはアルメニア・カトリックの教会が建てられています。イエスが十字架の重みに耐えかね、倒れたことを黙想する場所です。
「第4留 聖母マリアに出会った。」 第4留にはアルメニア人が建てた教会があります。ここでは十字架を担うイエスと、群集の中にいる母マリアの出会いを黙想します。映画でもこのシーンがよく出てきますが、マリアの辛い気持ちを思うと胸が痛みます。 (このあたり、十字架を担いでいたので写真がありません。十字架は2人で担ぎます。私は後ろだったので軽かったのですが、前の方は横木がある分重そうでした。そしてたぶん、このあたりにイエスが手をついたと言われる岩が壁に埋め込まれてます。写真を撮れなかったのでお見せできないのが残念ですが、みんな触ってるので見逃すことはないんじゃないかなと思います。) 「第5留 キレネ人のシモンがイエスの十字架を担った。」 十字架の重みに遂に耐えきれなくなったイエスを見て、見張りのローマ兵は見物人の中にいたキレネ人のシモンという人を指名し、イエスの十字架を運ばせます。私はなぜかこのエピソードが好きなのですが、それはシモンがイエスを助けてくれたように見えるからでしょう。たぶんそういう単純なことを言ってるんじゃないんだと思いますが。
「第6留 ベロニカがイエスの顔を拭った。」 第6留には、ベロニカ教会があります。ベロニカという女性がゴルゴタの丘に向かうイエスの顏を布で拭ったところ、その布にイエスの顏が浮かび上がったという話があります。この布は現在ローマにあるそうで、非公開となっています。偽物が出回っているらしいけど、ここでは見つけられませんでした。ベロニカは聖書には出てこないので、あとから付け加えられた話かも…。
「第7留 イエスは2度目に倒れられた。」 第7留はイエスが2度目に倒れた場所です。当時はここから城外だったそうです。やはり処刑場は城の外に作るのでしょう。ここにあった門の敷居にイエスがつまづいたため、2度目に倒れたとされているようです。敷居をまたぐ力も残ってない状態だったんだろうなあ…。
「第8留 イエスはエルサレムの婦人たちと出会った。」 第8留にはギリシア正教会の修道院が建ってるそうです。8留の表示はその外側、道沿いの壁にくっついてます。ここではイエスに従い、処刑を嘆き悲しんでいた女性たちに、イエスが「わたしのために泣くな」と語ったとされています。大学の授業でイエスや弟子の他に女性たちがいて、彼女たちが身の回りの世話をしていたらしいという話を聞いたけど、そういう女性たちが見に来ていたのだと思われます。
「第9留 イエスは3度目に倒れられた。」 第9留はコプト教会入口。今まで運んできた十字架とはここでお別れです。いよいよゴール地点の聖墳墓教会が見えてきました。ガイドブックには「ローマ時代の円柱が3度目に倒れた場所」なんて書いてありますが、円柱が隅っこにあったらしく全く気がつかず。あとになって「え、あったの!?」なんて言う始末。行かれる方はお見逃しないように(もしかしたらもうないのかも??)。
「第10留 イエスは衣服をはぎ取られた。」 第10留からは、聖墳墓教会内部に入ります。ローマ兵たちはイエスの服を取り、4つに分けて1人1つずつ取ったそうです。さらに下着も取り、それはくじ引きで誰のものになるか決めたといいます。この時のくじ引きかはわかりませんが、ローマのものと見られるくじ引きのあとが今も残ってるそうです(どこに保存されているか忘れてしまった…)。 「第11留 イエスは十字架につけられた。」 11留では、イエスがついに十字架につけられます。イエスと一緒に他の2人の罪人も、イエスを真ん中にして十字架につけられていました。 第10留・第11留と、ローマ・カトリックの小聖堂になっているみたいです。ここでは狭い上に人が多くて聖書も読めず、ほぼ個人行動。そして第10留・11留を理解していなかったという私。一体何してたんだろ。 「第12留 イエスは十字架上で息を引き取られた。」 さて、人がたくさんいるところに来ました。第12留、イエスが息を引き取ったとされる所です。現在はギリシャ正教会の小聖堂になっており、ものすごい人だかり。というのも、祭壇の下にイエスの十字架が建てられたとされる岩があり、そこを触れるようになっているので順番待ちしているのだ。私は夕方、空いている時間にもう1度添乗員さんに連れて行ってもらった際に手を入れてみたが、よくわからなかった…。
「第13留 イエスは十字架からおろされた。」 イエスの死後、隠れ弟子のヨセフという人物が、イエスの遺体を引き取りにきます。そこで十字架から遺体をおろしたとされるのが第13留です。またもや人ごみで気が付かなかったが、どうやら11留と12留の間にあるらしい…。ガイドブックは用語の間違いがあったのであまり信用していなかったのだが、こういう時は見なくちゃダメですね。で、見直したガイドブックによると13留にはマリアの小祭壇なるものがあるらしいです。 「第14留 イエスは墓に葬られ、死者からよみがえられた。」 いよいよヴィア・ドロローサのゴール地点です。ここには小さな聖堂があり、さらに奥にイエスの墓石があり、触れるようになっています。が、しかし!入るにはかなり並ばなくてはならず、入ってもすぐ出るように急かされる。でも待ち時間はディ○ニーランドほどではないと思います。私は夕方行ったときに入りましたが、並んだのは20分ほど。さらにちょうど正教会の儀式をやっていたので、目の前で見られて良かったけど、何の儀式なのかはわからず(ちなみにこの儀式の間はお墓に入れない)。
上の建物内部は真っ暗ですが、ろうそくがたくさんともっていて幻想的でした。イエスの墓石はろうそくに照らされてるせいかピンク色に見え、触るとひんやりしてました。
聖墳墓教会を後にし、狭い路地を抜けるとエルサレムの新市街です。旧市街の狭くコチャコチャした様子から一変し、広く開放的な町並みになりました。
●イスラエル博物館 カンカン照りの中、次はイスラエル博物館に向かいます。実はもう疲れてぐったりしてた私…弱すぎる。旅は体力がないとついていけない。 イスラエル博物館では死海写本の展示と第2神殿(イエスが生きたころのエルサレム神殿)の模型を見ました。他にも美術の展示とかがあるらしいが、この時は工事中でした。疲れていたのでちょっと助かった…。 簡単な持ち物検査を受けて、中に入ります。
神殿の模型には英語とヘブライ語の解説板が方角ごとに付いていました。私はヘブライ語はもちろん、英語も瞬時で理解できる頭ではないので解説板も写真に撮って帰ります。 死海写本館には「死海写本」と呼ばれる文書が展示されていました。これは紀元前3〜2世紀に筆写されたと言われるもので、今日使われている聖書の一部とほぼ同じ内容が書かれているらしい(ヘブライ語なのでもちろん読めない)。20世紀の3大発見の1つに数えられてます。 「死海写本」が発見されたのは1947年だそう。発見までには面白いいきさつがあって、迷子になった羊を探していたベドウィンの少年が、洞窟に羊がいるか石を投げて調べたところ、変な音がしたので中に入ってみました。すると壷の中からこの写本が出てきたといいます。しかし何が書いてあるかわからなかったので、取りあえず古物商か誰かに売りに出し、巡り巡って大学教授のもとに持ち込まれ、貴重な物だと判断されました。後日、この「死海文書」の発見現場にも行きます。 …それで、この壷のフタをモチーフにしているのが上の死海文書館の屋根なのですが、先生は3回くらい「似てないジャン」と言ってました。確かに似てない。 そしてこの博物館のミュージアムショップでは、「死海文書セット」と呼んでいいような模型セットが売っております。友人が面白がって買ってた。私は手持ちのボールペンのインクがなくなりそうだったので、普通にボールペンを購入。お土産というかなんというか。ところで、なんでお土産のボールペンって青いインクなのかな。前にイタリア土産でボールペンをもらったときも青インクでびっくりしたんだよね。海外標準は青なのだろうか?? ●嘆きの壁 かなり体力を消耗し、「別の日にしてくれーーー!!!」と心の中で叫びながらもやってきた「嘆きの壁」。これは有名なところですね。頑張って行ってみましょう。途中、通路でまたもや持ち物検査。日本ではあり得ない光景です。 嘆きの壁はユダヤ教の神殿があった場所(今はイスラム教の岩のドームがある)の西側にあります。イエスが亡くなってから約40年後の西暦70年、ローマ軍によってユダヤ教の神殿が破壊されました。そのときに残ったのがこの西の壁で、ユダヤ人は神殿なきあとの心の拠り所をここに求め、お祈りをしていたそうです。そして現在も変わらず、嘆きの壁はユダヤ人にとって祈りの場となっています。
嘆きの壁への通路には、手を浄める水道がありました。日本の神社と同じ感覚です。旅行者みんなでやろうとしたら、添乗員さんに「やめたほうがいい」と止められた。宗教上やってはいけないのかと思ったら、単純に水が危ないからだそう。外国人は慣れない水に注意です。 それはともかく、祈っている人々を見てみる。聖書を持って体をゆすりながら、祈りの言葉を唱えている。そして終わると、壁の広場から出るまで後ろ向きに歩いて帰っていく。添乗員さんに「なぜ」ときいてみたところ、やはりお尻を向けるのは失礼だと考えているのではないかという答えだった。 ここでは日常にある宗教というものを感じた。スーパーの買い物帰りのような親子が来ていたが、「あー、祈りが日常生活の一部なのだ」としみじみ感じる。私はフツーの日本人一般家庭に育ったため、「(祈りというよりは)お願いするなら神社(神道)、お墓はお寺(仏教)、クリスマスはプレゼントがもらえる日(もはやキリスト教という意識もない)」という感覚で育った。もちろん日本人の中にも1つの宗教を信じている人はたくさんいる。しかし普通の公立小学校〜公立中学校〜県立高校と過ごし、その後も何らかの信仰を持つ人との接点がなかった私にとって、ここで感じた空気は特別なものだった。そして宗教は特別なものではなく、人間の日常なのだと思うようになった(まあ、こういうのは人によって感じ方は様々なので…あくまでも私個人の感想です)。 とにかく、特定の信仰を持たない私にとっては、不思議な空気が漂う場所でした。いい経験をしたなあ。
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