恋風旅路 >> 恋風旅日記 >> イスラエル旅日記 >> エルサレム2


エルサレム−その2

 「エルサレム−その1」では城壁の外をまわりましたが、今回は城壁内に入ります。イエス関係の映画にも出てくる「ヴィア・ドロローサ」で十字架も担いできました。

エルサレム旧市街の東側にある、聖ステファノ門(ライオン門)から入ります。実は小さいライオンのレリーフが壁にくっついてます
門をくぐるとこんな感じ。狭い路地が続いています。実は車もたまに通ります



ベテスダの池

 ライオン門をくぐってまっすぐ行き、右に曲がるとベテスダの池跡があります。ここは羊の池とも呼ばれ、神殿に入る前に身をきよめたり、生け贄の羊を洗ったりしてたそうです。1年に1回水がわき、その直後に最初に池に入った人が病を癒されるとされていました。聖書の記述どおり、5つの回廊が発掘されたそうです。

現在は地上よりかなり深い所に遺跡がある。2000年前の地表は今より低かったことを実感
下に降りられました。階段も発掘されています


聖アンナ教会

 ベテスダの池跡のわきにある教会。聖アンナは聖母マリアのお母さん、つまりイエスのおばあさんです。聖母マリアの両親がエルサレム神殿の近くに住んでいたという伝承から、ここにマリアが生まれたという話が生まれ、この教会ができたといいます。現在の建物は十字軍時代に再建されたものだそうです。

お墓 シンプルな石造りの外見
お墓2 中に入るとこんな感じ。内部もシンプルでした。ロマネスク様式というらしい
お、聖アンナと幼いマリア像です。やっぱり絵や像ってわかりやすいなあ


十字架の道行き−ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)

 さて、次は私が楽しみにしていたヴィア・ドロローサです。イエスに関する映画では必ず出てくるので、実際はどんな感じなんだろうと思っていたのだが…2000年前の道はやっぱり地下に埋まってるそうです。雰囲気は同じかなあ…と気を取り直し、いざ出発です。
 ヴィア・ドロローサは、イエスが処刑される前に十字架を担って歩いたと言われる道です。十字架の道行きとは、カトリック教会の信心業の1つで、各ポイントをめぐりながらイエスの受難を思うというもの。今回の十字架の道行きでは、ヴィア・ドロローサに設置された各ポイントで聖書の関連箇所を読み、イエスの受難を黙想しながら進みます。ちなみに、毎週金曜日にはカトリックの修道会であるフランシスコ会がこれを行なっており、観光客はくっついて歩いて見学できるらしい。
 ヴィア・ドロローサは当時のエルサレム神殿の北西部から始まります。当時はアントニア要塞の中庭だったそうです。スタートからゴールまでは直線で800m、道をたどると1kmくらい。スタート地点は現在アラブの学校の中庭になってるので、今回は入れませんでした。そのため、学校の外側にある「宣告の小聖堂」から道行きを始めます。

今回のスタート地点である「宣告の小聖堂」。手前がこれから担ぐ十字架。写真右奥が本来のスタート地点。今は学校で、子どもの遊ぶ声が聞こえる

 聖書の内容が書かれた「十字架の道行き」の小冊子が事前に配られていた(旅行会社さんが作って下さったらしい)ので、それを代表者が朗読し、先生が祈りの言葉を唱え、ところどころガイドさんの説明を聞きながら進みます。設置されたポイントは日本語では「留」と呼ばれ、全部で14箇所。偉そうに言ってるが、説明を聞いていたときは「リュウ」の漢字がわからなかった私…「流」しか浮かばず、英語の「ステーション」の方で理解。

「第1留 イエスはピラトに裁かれた。」
 ピラトはローマ総督で、ローマ帝国領となったエルサレムを見張りに来ていました。そこへイエスが連れてこられたわけですが、ピラト自身はイエスに罪はないと見ています。しかしユダヤ人たちの激しい反発にあい、ついに十字架につけるためにイエスを彼らに引き渡しました。
第1留(上の「宣告の小聖堂」)内部。天井にはイエスがかぶった茨の冠がデザインされてます

 第1留と第2留はすぐお向かいにあり、フランシスコ会が管理しているそうです。同じ敷地内に聖書考古学研究室の建物もありました。

「第2留 イエスは十字架を担われた。」
 死刑宣告を受けたイエスは十字架を担います。実は刑場に縦木が立っており、担ったのは横木だけだったという説もあります。しかし十字架はキリストの象徴でもありますので、ここでは気にせず進みましょう…。
第2留の「十字架を担った鞭打ちの教会」内部。ピンぼけですが十字架を担うシーンが描かれた絵があります
この教会の床の一部には、当時の敷石だとされている石が使われています。滑らないようにギザギザが刻まれているそうです

「第3留 イエスは初めて倒れられた。」
 第3留にはアルメニア・カトリックの教会が建てられています。イエスが十字架の重みに耐えかね、倒れたことを黙想する場所です。
入口の上部にあるレリーフ。倒れるイエスが刻まれています
内部はこんな感じ。祭壇奥に倒れるイエスの像があります。壁にはイエスを見守る天使たちが描かれてました

「第4留 聖母マリアに出会った。」
 第4留にはアルメニア人が建てた教会があります。ここでは十字架を担うイエスと、群集の中にいる母マリアの出会いを黙想します。映画でもこのシーンがよく出てきますが、マリアの辛い気持ちを思うと胸が痛みます。

(このあたり、十字架を担いでいたので写真がありません。十字架は2人で担ぎます。私は後ろだったので軽かったのですが、前の方は横木がある分重そうでした。そしてたぶん、このあたりにイエスが手をついたと言われる岩が壁に埋め込まれてます。写真を撮れなかったのでお見せできないのが残念ですが、みんな触ってるので見逃すことはないんじゃないかなと思います。)

「第5留 キレネ人のシモンがイエスの十字架を担った。」
 十字架の重みに遂に耐えきれなくなったイエスを見て、見張りのローマ兵は見物人の中にいたキレネ人のシモンという人を指名し、イエスの十字架を運ばせます。私はなぜかこのエピソードが好きなのですが、それはシモンがイエスを助けてくれたように見えるからでしょう。たぶんそういう単純なことを言ってるんじゃないんだと思いますが。

こんなトンネルも通っていきます。全体的に狭い道が多いです

「第6留 ベロニカがイエスの顔を拭った。」
 第6留には、ベロニカ教会があります。ベロニカという女性がゴルゴタの丘に向かうイエスの顏を布で拭ったところ、その布にイエスの顏が浮かび上がったという話があります。この布は現在ローマにあるそうで、非公開となっています。偽物が出回っているらしいけど、ここでは見つけられませんでした。ベロニカは聖書には出てこないので、あとから付け加えられた話かも…。
ベロニカ教会の扉。中には入らず、扉の前で黙想する

「第7留 イエスは2度目に倒れられた。」
 第7留はイエスが2度目に倒れた場所です。当時はここから城外だったそうです。やはり処刑場は城の外に作るのでしょう。ここにあった門の敷居にイエスがつまづいたため、2度目に倒れたとされているようです。敷居をまたぐ力も残ってない状態だったんだろうなあ…。
第7留の表示
第7留にある小さな聖堂の祭壇。本当に小さくて、私は扉などにいろいろぶつかりました

「第8留 イエスはエルサレムの婦人たちと出会った。」
 第8留にはギリシア正教会の修道院が建ってるそうです。8留の表示はその外側、道沿いの壁にくっついてます。ここではイエスに従い、処刑を嘆き悲しんでいた女性たちに、イエスが「わたしのために泣くな」と語ったとされています。大学の授業でイエスや弟子の他に女性たちがいて、彼女たちが身の回りの世話をしていたらしいという話を聞いたけど、そういう女性たちが見に来ていたのだと思われます。
第8留の表示。ここも道で黙想

「第9留 イエスは3度目に倒れられた。」
 第9留はコプト教会入口。今まで運んできた十字架とはここでお別れです。いよいよゴール地点の聖墳墓教会が見えてきました。ガイドブックには「ローマ時代の円柱が3度目に倒れた場所」なんて書いてありますが、円柱が隅っこにあったらしく全く気がつかず。あとになって「え、あったの!?」なんて言う始末。行かれる方はお見逃しないように(もしかしたらもうないのかも??)。
第9留。聖墳墓教会の屋根が左に見えます

「第10留 イエスは衣服をはぎ取られた。」
 第10留からは、聖墳墓教会内部に入ります。ローマ兵たちはイエスの服を取り、4つに分けて1人1つずつ取ったそうです。さらに下着も取り、それはくじ引きで誰のものになるか決めたといいます。この時のくじ引きかはわかりませんが、ローマのものと見られるくじ引きのあとが今も残ってるそうです(どこに保存されているか忘れてしまった…)。

「第11留 イエスは十字架につけられた。」
 11留では、イエスがついに十字架につけられます。イエスと一緒に他の2人の罪人も、イエスを真ん中にして十字架につけられていました。
 第10留・第11留と、ローマ・カトリックの小聖堂になっているみたいです。ここでは狭い上に人が多くて聖書も読めず、ほぼ個人行動。そして第10留・11留を理解していなかったという私。一体何してたんだろ。

「第12留 イエスは十字架上で息を引き取られた。」
 さて、人がたくさんいるところに来ました。第12留、イエスが息を引き取ったとされる所です。現在はギリシャ正教会の小聖堂になっており、ものすごい人だかり。というのも、祭壇の下にイエスの十字架が建てられたとされる岩があり、そこを触れるようになっているので順番待ちしているのだ。私は夕方、空いている時間にもう1度添乗員さんに連れて行ってもらった際に手を入れてみたが、よくわからなかった…。
第12留がある場所。急な狭い階段を登ったところにある。ものすごい人だかり
第12留の祭壇。画面右に、イコンと呼ばれる薄い板に書かれたイエス像があります。斜めだと分かりにくい…
夕方にもう一度行きました。人が少なかったのでいい位置から祭壇を再撮影。ピカピカしてるけど厳かな雰囲気です
祭壇下部。みんなしゃがんで十字架が立てられた穴に触れます

「第13留 イエスは十字架からおろされた。」
 イエスの死後、隠れ弟子のヨセフという人物が、イエスの遺体を引き取りにきます。そこで十字架から遺体をおろしたとされるのが第13留です。またもや人ごみで気が付かなかったが、どうやら11留と12留の間にあるらしい…。ガイドブックは用語の間違いがあったのであまり信用していなかったのだが、こういう時は見なくちゃダメですね。で、見直したガイドブックによると13留にはマリアの小祭壇なるものがあるらしいです。

「第14留 イエスは墓に葬られ、死者からよみがえられた。」
 いよいよヴィア・ドロローサのゴール地点です。ここには小さな聖堂があり、さらに奥にイエスの墓石があり、触れるようになっています。が、しかし!入るにはかなり並ばなくてはならず、入ってもすぐ出るように急かされる。でも待ち時間はディ○ニーランドほどではないと思います。私は夕方行ったときに入りましたが、並んだのは20分ほど。さらにちょうど正教会の儀式をやっていたので、目の前で見られて良かったけど、何の儀式なのかはわからず(ちなみにこの儀式の間はお墓に入れない)。
第14留、イエスの墓石がある聖堂。建物の中に小さいお家がある感じ
上の建物の側面では、ろうそくがつけられてる。昔火事になったらしい
 
 上の建物内部は真っ暗ですが、ろうそくがたくさんともっていて幻想的でした。イエスの墓石はろうそくに照らされてるせいかピンク色に見え、触るとひんやりしてました。

夕方並んだときの様子。昼間より空いていました
正教会の儀式がちょうど始まりました。祈りの言葉を聞きながら(何語かわからない)待ちます
20分か30分くらい並び、ついに入れました!こんな感じで真っ暗。写真明るくしたら何か映ってるかと思ったのだが…
イエスの墓手前の小部屋。お、写真を明るくしたら人が映ってました
イエスの墓石上にある装飾。急いでてじっくり見られず…


聖墳墓教会の出入口。私たちは十字架の道行きをしていたので違うところから入ったようです。外観はわりと質素
上の入口を入ってすぐのところにある、イエスが横たえられた石。香水のような匂いがして、触るといい匂いが手に残る
ミサを聖墳墓教会内の小聖堂で行いました。石造りのがっしりした感じの聖堂です

 聖墳墓教会を後にし、狭い路地を抜けるとエルサレムの新市街です。旧市街の狭くコチャコチャした様子から一変し、広く開放的な町並みになりました。

画面左手の奥が今までいた旧市街。正面の建物は(たぶん)博物館
新しくできたショッピングモール。日本でも見られるGAPのお店がありました
街角の様子。なんか都会的でおしゃれです


イスラエル博物館
 
カンカン照りの中、次はイスラエル博物館に向かいます。実はもう疲れてぐったりしてた私…弱すぎる。旅は体力がないとついていけない。
 イスラエル博物館では死海写本の展示と第2神殿(イエスが生きたころのエルサレム神殿)の模型を見ました。他にも美術の展示とかがあるらしいが、この時は工事中でした。疲れていたのでちょっと助かった…。
 簡単な持ち物検査を受けて、中に入ります。
神殿の模型。屋外に展示されてます。
実物の50分の1サイズ。細部まで作り込んであります。
実物と同じ石を使うというこだわり様。
(神殿の東側からの眺め)
神殿の下の谷まで表現されてます。
奥に見えるのは死海写本館の屋根
(神殿の南西あたりからの眺め)

 神殿の模型には英語とヘブライ語の解説板が方角ごとに付いていました。私はヘブライ語はもちろん、英語も瞬時で理解できる頭ではないので解説板も写真に撮って帰ります。
 死海写本館には「死海写本」と呼ばれる文書が展示されていました。これは紀元前3〜2世紀に筆写されたと言われるもので、今日使われている聖書の一部とほぼ同じ内容が書かれているらしい(ヘブライ語なのでもちろん読めない)。20世紀の3大発見の1つに数えられてます。
 「死海写本」が発見されたのは1947年だそう。発見までには面白いいきさつがあって、迷子になった羊を探していたベドウィンの少年が、洞窟に羊がいるか石を投げて調べたところ、変な音がしたので中に入ってみました。すると壷の中からこの写本が出てきたといいます。しかし何が書いてあるかわからなかったので、取りあえず古物商か誰かに売りに出し、巡り巡って大学教授のもとに持ち込まれ、貴重な物だと判断されました。後日、この「死海文書」の発見現場にも行きます。
 …それで、この壷のフタをモチーフにしているのが上の死海文書館の屋根なのですが、先生は3回くらい「似てないジャン」と言ってました。確かに似てない。
 そしてこの博物館のミュージアムショップでは、「死海文書セット」と呼んでいいような模型セットが売っております。友人が面白がって買ってた。私は手持ちのボールペンのインクがなくなりそうだったので、普通にボールペンを購入。お土産というかなんというか。ところで、なんでお土産のボールペンって青いインクなのかな。前にイタリア土産でボールペンをもらったときも青インクでびっくりしたんだよね。海外標準は青なのだろうか??

嘆きの壁
 
かなり体力を消耗し、「別の日にしてくれーーー!!!」と心の中で叫びながらもやってきた「嘆きの壁」。これは有名なところですね。頑張って行ってみましょう。途中、通路でまたもや持ち物検査。日本ではあり得ない光景です。
 嘆きの壁はユダヤ教の神殿があった場所(今はイスラム教の岩のドームがある)の西側にあります。イエスが亡くなってから約40年後の西暦70年、ローマ軍によってユダヤ教の神殿が破壊されました。そのときに残ったのがこの西の壁で、ユダヤ人は神殿なきあとの心の拠り所をここに求め、お祈りをしていたそうです。そして現在も変わらず、嘆きの壁はユダヤ人にとって祈りの場となっています。
嘆きの壁。写真だとこじんまりしてますが実際は迫力があります。
地上に出ている部分は、下から7段目までが2000年前と同じ物だそう
嘆きの壁で祈る人々。壁の右側3分の1が女性信者用のスペース。男性とはフェンスで仕切られています
嘆きの壁への入口。なんと、聖書を貸し出してくれるんですね!!

 嘆きの壁への通路には、手を浄める水道がありました。日本の神社と同じ感覚です。旅行者みんなでやろうとしたら、添乗員さんに「やめたほうがいい」と止められた。宗教上やってはいけないのかと思ったら、単純に水が危ないからだそう。外国人は慣れない水に注意です。
 それはともかく、祈っている人々を見てみる。聖書を持って体をゆすりながら、祈りの言葉を唱えている。そして終わると、壁の広場から出るまで後ろ向きに歩いて帰っていく。添乗員さんに「なぜ」ときいてみたところ、やはりお尻を向けるのは失礼だと考えているのではないかという答えだった。
 ここでは日常にある宗教というものを感じた。スーパーの買い物帰りのような親子が来ていたが、「あー、祈りが日常生活の一部なのだ」としみじみ感じる。私はフツーの日本人一般家庭に育ったため、「(祈りというよりは)お願いするなら神社(神道)、お墓はお寺(仏教)、クリスマスはプレゼントがもらえる日(もはやキリスト教という意識もない)」という感覚で育った。もちろん日本人の中にも1つの宗教を信じている人はたくさんいる。しかし普通の公立小学校〜公立中学校〜県立高校と過ごし、その後も何らかの信仰を持つ人との接点がなかった私にとって、ここで感じた空気は特別なものだった。そして宗教は特別なものではなく、人間の日常なのだと思うようになった(まあ、こういうのは人によって感じ方は様々なので…あくまでも私個人の感想です)。
 とにかく、特定の信仰を持たない私にとっては、不思議な空気が漂う場所でした。いい経験をしたなあ。
嘆きの壁からの帰り道。エルサレムはこれにておしまい。日が傾いてきました。丘に建ってるたくさんの家々に日が当たっています



恋風旅路 >> 恋風旅日記 >> イスラエル旅日記 >> エルサレム2