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■エルサレム−その1
イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地、エルサレム。キリスト教ではイエスが亡くなったとされる場所に聖墳墓教会が建てられているほか、聖書の中の出来事を記念する教会もたくさんあります。訪れたところを紹介していきたいと思います。
●オリーブ山
エルサレム市街地の東側にあるオリーブ山。写真などでよく見る「エルサレムの遠景」を目にすることができます。
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少しだけパノラマ。オリーブ山からエルサレム市街地方面を臨む。
手すりの下に見えるマッチ箱状の物は、全てユダヤ教のお墓だそうです
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ガイドブックでよくある光景
金色の「岩のドーム」はイスラム教のもの |
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ゴミ箱。イスラエルのシンボル、ライオンが
ついています。ちょっとかっこいい |
途中に、昔のお墓がありました。
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四角い箱1つが1人分。
幼稚園のお道具箱くらいの大きさです |
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上の遺跡の脇にありました。さらに古いタイプの
お墓で、洞窟を利用したものだそうです
ガイドさんによると、イエスの時代はこのタイプ
だったかもしれないとのこと |
●主嘆き給う教会
聖書には、オリーブ山からエルサレムを見たイエスが、エルサレムの滅亡を予言して涙を流したという記述があります。
イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分のみたあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。(ルカによる福音書19章37節)
…中略…
エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。」(ルカによる福音書19章41−42節) |
これにちなんで建てられた教会で、『地球の歩き方』によると1955年にできた、まだ新しい教会です。
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概観。涙の形をイメージしてるらしい。
半円形の窓が、祭壇後ろの窓 |
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こちらが祭壇。この教会でミサに参加しました。
窓からはエルサレムの街が見えます。 エルサレムの街を背景に立つ先生(神父)が立派に見えた |
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祭壇のモザイク。聖書の「めん鳥が雛を羽の下に集めるように(ルカ13章34節)」という内容から、鶏は信者を守る教会に例えられるそうです。
ちょっとかわいい |
オリーブ山を降りて、ゲッセマネの園へ向かいます。
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このあたり、両脇に壁が迫る狭い道です。 |
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鳥を飼ってる家がありました |
●ゲッセマネの園
ゲッセマネは「油絞り」という意味で、当時はオリーブの林があったとされています。イエスの祈りの場でもあったところで、ガイドさんによると、聖書に出てくる「いつもの場所」というのはここだということです。逮捕の直前にイエスがいたのもここでした。
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今はこんな感じ。きれいに整備されています。
周りに狭い通路があり、見学するだけで中には入れません |
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通路から。右側にゲッセマネの園があります。
正面の建物がゲッセマネの教会。十字のステンドグラスが
見えます |
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ゲッセマネの園の中で一番古いオリーブの木。
(心の目で見れば)イエス時代の木と一緒だとか… |
●ゲッセマネの教会(万国民の教会)
ゲッセマネの園のすぐ隣にある教会。様々な国からの献金で建てられたため「万国民の教会」という名前がついているそうです(『地球の歩き方』より)。
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外観。正面のモザイクがインパクトあります |
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祭壇のわきでミサを見学。十字のステンドグラス、内部では紫色になってました。とてもきれい |
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天井。ドームを支えているような人が表現されています |
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中央祭壇の前にはイエスが祈ったとされる岩があります。
結構大きい。ミサの人たちが触れて祈っています |
中央祭壇上のモザイク「苦悶のキリスト」 |
中央祭壇右側のモザイク「イエスの逮捕」 |
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ゲッセマネの教会を出ると、エルサレム旧市街の黄金門が目の前にあります。ここから救世主が入ってくるとされ、来るべき日に開くと言われているので、今は閉じています。
左側に岩のドームのてっぺんが見えます |
●オリーブ絞りの部屋がある教会
カトリックのフランシスコ会が管理する教会。正式名称がわからない…。内部は洞窟のようになっており、地下にオリーブ絞りをしていた部屋があるそうです。実際の部屋には入れませんが、マンホールのような蓋がはめられた穴から覗くことができます。
余談だが、ここの見張りの修道士さんは厳しい。ガイドさんが小声で説明しているのに「静かに」と英語で書いた札をこちらに見せ、ずっと目を光らせていた。説明をやめさせられることはなかったが…。
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祭壇はこんな感じ(ブレてる…) |
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オリーブ絞りの部屋へ続く穴。部屋の最後部にあります |
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上の写真の穴を覗くとこんな感じ。階段状になってます |
●マリアの墓の教会
聖母マリアが天にあげられたとされる場所に建つ教会。ロシア正教とアルメニア教会の建物なので、今までの教会とはまた雰囲気が違います。
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外観はシンプル |
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いきなり地下に降ります。薄暗い階段の両脇にはロウソクが何本も灯され、修道女の方がロウを掃除しておられました |
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階段を降りて右手にある、マリアの墓石への入口。
天井からランプやら何やらがいろいろ吊るされています。マリアの墓石がある所は小さなお家みたいになっています。右の人が身をかがめてますが、墓石への入口があります |
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墓石のおうち(と仮に呼ぼう)のすぐ裏におかれている、眠るマリア像。木の板みたいなので作られているので、横から見ると平らでした |
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上のマリア像の正面にある聖母子画 |
階段を降りて右に行くとマリアの墓石ですが、左に行くとアルメニア教会の祭壇がありました。ここにもマリアの絵がありましたが、ケルビムがたくさん描かれているのが印象的でした。
●シオンの丘
オリーブ山を離れ、エルサレム旧市街の南、シオンの丘へ。ここは現在、旧市街の城壁の外にありますが、古代イスラエル王ダビデの時代(紀元前1000年頃)は城壁内であり、お金持ちの人が住む中心地だったそうです。
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シオンの丘からの眺め。左に岩のドームが見えます |
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下のほうに見えるのは民家です。子どもがこちらを見て手を振っていました |
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右奥の山にグレーのコンクリートの壁があるのですが…この写真だとみえませんね(^^;)
パレスチナからの自爆テロを防ぐための壁だそうです。
この国の複雑さを目の当たりにしました |
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展望台にあったエルサレムの地図 |
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シオンの丘の建物群。細い道を進みます |
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シオンの丘、見どころへの入口です。建物は古そう… |
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十戒らしいですが、全く読めない |
●シオンの丘−最後の晩餐の部屋
シオンの丘にも見どころがたくさんあります。最後の晩餐の部屋とされるところもその1つ。最後の晩餐はユダヤ教にはなく、キリスト教が始まるきっかけとなった出来事である、とガイドさんがおっしゃってました。また、聖霊が弟子たちに下り、それによって異国の言葉を話し始めたとされるペンテコステも同じ部屋で起こったとされています。ガイドさんは、こちらの意味だとキリスト教が世界に広まる第一歩となった場所とも言えるとおっしゃってました。
現在の建物は1000年前くらいの十字軍時代のもので、その後イスラムに進攻されたため、部屋の中にはイスラム教の半円型の祈りの場が作られたままになっています。ガイドさんによると、柱は再利用するので十字軍より前のものだと考えられ、特に部屋のすみにあるペリカン彫刻の柱は古いものだ、とのこと。(このあたり、疲れて写真を撮ってませんでした)
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ペリカン彫刻の柱。ペリカンは血を分け与えるという習性から、キリストの象徴とされている |
●シオンの丘−ダビデ王の墓
シオンの丘には、ダビデ王の墓とされる場所があります。本物ではないらしいのですが、ユダヤ教信者の信仰のより所となっています。男女で入口を分けてあり、男性は信者でなくてもキパ(ユダヤ教の男性がかぶる、小さい帽子のようなもの)をかぶらないと入れないそうです。
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女性側入口 |
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入って左側上部はこんな感じ。この筒は何だろう…
右の仕切りで男性側と区切られています |
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ダビデのお墓出入り口。木の棒のようなものが、壁に貼り付いているのがご覧いただけますでしょうか?
「メズザ」というもので、ユダヤ人の家の玄関や部屋の入口に埋め込まれているそうです。神を思い出すために見て、触れるもので、聖書にもその記述があります。
「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、…これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして…あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい(申命記6章6節−9節)」
この書き記したものがメズザだということです。 |
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こんなタイプのメズザも。こちらは透明な筒に紙が入っています |
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最後になりましたが、ダビデ像です |
●シオンの丘−マリア永眠教会
同じくシオンの丘にあるマリア永眠教会は、マリアが眠りについた場所を記念する教会で、ベネディクト修道会が管理しています。地下にはマリアが眠っている木彫像があり、まわりの小さな祭壇(?)はそれぞれの国のベネディクト会が作ったものだそうです。赤・黒・白といった色合いの個性的なモザイクで飾られたものもありました。アフリカかどこかの国だったかな…??このあたりでデジカメの電池が切れたため、携帯電話の悪い画像になっております…
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マリア永眠教会の外観。エルサレム最大の教会らしい |
↑中央祭壇上部 |
後ろ側にあるパイプオルガン |
↓聖堂内のモザイクたち
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↑床には星座のモザイクがありました。
これ何座だろ…? |
↑マリア永眠教会入口の表札。
透明で凝ってる |
●シオンの丘−鶏鳴教会
イエスの弟子、ペトロが3度「イエスを知らない」と言った場所です。鶏鳴教会には遺跡があり、貯水槽跡があることから、大祭司カヤファの屋敷跡であると推測されています。イエスは処刑前にこの屋敷の牢につながれたとのこと。ペトロはイエスが逮捕されたときに逃亡しましたが、責任感からイエスの近くに戻り、この屋敷の外でたき火にあたっていたところを、女中に「イエスの仲間だ」と指摘され、「知らない」と否定しています。
ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々ペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ、ガリラヤの者だから。」すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣き出した。(マルコによる福音書14章66−72節) |
「鶏鳴教会」の名前はこの聖書の内容から来ています。偶然かわざとなのか、ガイドさんの説明を聞いているときに何度も鶏の鳴き声がしていました。
教会の地下には洞窟のようなむち打ちの牢があり、天井に縄を通して罪人をつなぐための穴があいてました。地面にも穴がありましたが、そこには酸い葡萄酒を入れ、拷問で気絶した罪人に飲ませて意識を取り戻させるために使われたそうです。暗いし、見ているだけで恐ろしい場所でした。
外観。
フランス系のカトリックの人々が
建てたそうです |
外壁にもモザイクがあります
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「知らない」と否定するペトロ。
柱の上に鶏もいます |
上の写真のモザイクの下にある、
聖堂への出入り口。 |
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教会脇にある石段。調査の結果、イエス当時のものとされています。石はすりへってツルツルなので、靴だと滑りやすい。信仰心から裸足で登ってる方がいらっしゃいましたが、「裸足の方が登りやすいよ」とおっしゃってました |
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石段を登りきったところにあるレリーフ。
こちらはイエスが仲間たちとゲッセマネへ下る図 |
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同上。
こちらは捕らえられて独りで石段を登るイエス |
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教会脇にある、貯水槽跡がある住宅の遺跡。
昔は水が貴重で、貯水槽があるのは富裕層だけ
だったそうです |
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なんかおそろしい写真になってしまいましたが、地下牢跡と思われる場所から上を撮ってます(上にいるのはツアーのメンバーです、念のため)。
今は吹き抜けになって電気もありますが、電気を消すと真っ暗です。天井には穴があいていて、側面にはビザンチン時代につけられた十字が刻まれてました。 |
地下から上がって、聖堂内部。
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天井のステンドグラス。中心には
イエスの絵があるのですが、写真に
うつらず… |
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壁のモザイクのグラデーションがとてもきれいです。写真がしょぼいのでお伝えできないのが残念ですが…
天井に向かって、左のようなグラデーションになっているのです! |
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終わりに…鶏鳴教会への看板とエルサレムの町並み |
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