恋風旅路 >> 恋風旅日記 >> イスラエル旅日記 >> 死海/クムラン/エリコ
ガイドさんに目と傷口は死海に浸けると(しみて)ヤバいから、絶対に守ること、特に目は要注意と脅されていたので、死海初心者な我々は、膝あたりの深さのところで浮遊体験に挑戦。普通に入っているだけだとお尻が底についてしまうくらい浅いが、なんと!!こんな浅いところでもちゃんと浮くではありませんか!添乗員さんに写真も撮ってもらい、満足したのでさっさと引き揚げる。深い方にも行ってみたかったが、私の運動神経とオッチョコチョイなところを考えると、必ずバランスをくずして顔を浸けることになるだろうな…と思い、諦めることにした。しかも、死海は塩分濃度が高いので体内の水分がどんどん出ていってしまうらしい。なんておそろしい。浮いてる人が頻繁に何か飲んでいるのはそういうことだったのか。 引き揚げるためにジャブジャブ歩きながらふと空を見上げて思ったが、ここは海抜マイナス400メートル…この頭の上に海があるんだよなあ…なんか不思議な気持ちになった。ガイドブックによると海抜が低いため酸素濃度も濃いらしいが、それはよくわからず。
■クムラン 死海のほとりにある土地、クムラン。例の「死海写本」が見つかったところです。現在は遺跡も発掘され、ここで集団生活を行っていた人々がいたことが判明しています。 遺跡に入る前に小さな建物に入り、解説の映像が上映されます。我々の前に韓国人グループがいて騒がしくしていたが…なんであんなにパワフルなんだろうね、などと言いながら順番待ち。キムチの力だろうか。イスラエル巡礼ではよく見かける韓国人だが(なんと言っても直行便が出ているくらいですからね)、どこに行ってもパワフル。 それは置いておいて、映像を見終わったあといよいよ遺跡へ。まぶしい!風強い!コンタクトレンズなので目がほとんど開けられない!(=あまり見学できてない)
がんばって話を聞いたところによると、この遺跡はユダヤ教のエッセネ派と呼ばれていた人々の集落跡だそうで、全て男性だったそうです。洗礼者ヨハネも同時期に活動していたとのこと。
エッセネ派は「光の子、闇の子」の思想をもち、自らは光の子で、エルサレムにいるキリスト教信者を含め、他宗教の人は闇の子だと考えていました。
エッセネ派の人々はメシアが来るとされる東の方に向かってお祈りしていたとのこと。クムランから見ると、ちょうど死海方面になります。
死海を背にして立つと、「死海写本」が発見された洞窟が見えます。岩山の中腹に穴があり、今は谷をはさんで反対側の山からの見学のみになっています。
大学の授業でこの洞窟の写真を見たことがあったけど、こんなところにあるとは…中には入れなくても、入口近くには行けるんじゃないかと思っていた私。自分の考えの甘さを実感するとともに、イスラエルの厳しい自然環境も目の当たりにしたのでした。 ■エリコ パレスチナ自治区の町、エリコにも、聖書ゆかりの地があります。「ルカによる福音書」19章の一番はじめにある話で、徴税人ザアカイという人が出てきます。このザアカイ、イエスがエリコを訪問した際に、自分もイエスの姿を見たいと思ったのですが、背が低く、群集の中を歩くイエスが見えなかったので、木に登って見ていたのでした。この木がエリコの街角に残されています。
この日はエリコでミサをしました。このアラブの町にも、カトリック教会があるんですねー。
ザアカイの木があるエリコの街中からしばらく行くと、昔の町の跡が発掘された遺跡があります。この町は一万年前のものと言われ、ガイドブックには「テル・アッスルターン」の名前で載っています(実は名前が難しかったので訪問中は「町の遺跡」で理解)。
実はこのあたり疲れていたので、あまりメモをとっていなかった私。「モーセのあとつぎ ヨシュア エリコに入ってくる」としか書いてない。記憶にあるのは、ガイドさんが「ラッパを鳴らしながら町のまわりを7周したら城壁が崩れた」みたいな話をしていたということだけ…今、聖書を読み返してみたら、モーセが亡くなったあとの話だということが判明。このあたりの話は旧約聖書「ヨシュア記」に載っています(ちなみにモーセはその1つ前の「申命記」で亡くなっていました)。 簡単に言うと、次のような内容です。「出エジプト記」で、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエル人は、ついに故郷のイスラエルの地へ戻ってくる。城門を閉ざしたエリコの町を占領するにあたり、神からのお告げで「角笛を鳴らしながら町のまわりを1周し、7日目にはそれを7周すると城壁が崩れるから、そこから突入せよ」と言われたので、それを実行して、エリコの町を占領した。…ということみたいです。なんか要約しすぎた感がありますが、まあそういうことです。 これは旧約聖書の話ですが、新約聖書の話にまつわる場所も、この遺跡の西にあります。
洗礼者ヨハネから洗礼を授かったあと、イエスは荒野に行き、40日間の断食に入ります。その後、悪魔がやってきて、イエスを山に連れていき、「もし、自分を拝むなら、世のすべての国々を与えよう」と言う話が出てくるのですが、そのときの山がこの山だとされています。今はロープウェーで上がれるらしいですが、私たちは下から眺めて終了。ガイドブックによると、ギリシャ正教の修道院があるらしいです。 さて、帰りましょうかとポツポツ歩き始めたところ、パレスチナの国営テレビスタッフが現れた。観光客の取材をして、イスラエルとの平和に役立てようとしているそうだ。見ていたかったが、英語で話しかけられると困るので、さっさと退散。英語のできる先生たちだけが取材を受けていた。
イスラエルとパレスチナの微妙な関係を肌で感じながら、エリコを後に。島国でぬくぬくしながら農耕していた民族としては、なんとも複雑な歴史をもつこの国に共感できる部分はあまりないかもしれない。けど、その歴史から出てきた「救世主を待ち望む気持ち」というのはわかる気がするなあとぼんやり考えつつ、次の町へ移動です。自分じゃどうにもならないときに、最終的に頼るのはやはり「神」という存在なんじゃなかろうか。テキトー教の日本でも、「神さまお願い!」みたいなことはしますよね。特に年始あたり。
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