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+3日目+(長崎市〜長崎空港)

〜もう帰りです〜
 2泊3日とはいえ、3日目は帰り道だけ…もったいないと言うかなんと言うか。5時半過ぎ、ホテル出発。お世話になりました。きれいなホテルでした。そしてダブルベッド独り占めでした。静かな早朝の街中をテクテク歩く。でもターミナルには結構人がいて、ちょっと安心する。ここのターミナルは、ホテルも兼ねているみたい。フロントの前が待合所のような感じになっていて、券売機も設置されてます。
 外で並んでいると、バスがやってきた。もう前のターミナルで人がたくさん乗っていたので、補助席でした。途中まで東洋史を頑張ってたけど、すぐに眠りの国へ…。

〜目が覚めた〜
 はっ。もうすぐ空港だ。眠りから覚めたものの、またもや使節像見られず。外は暗いし、補助席なので見られないよね。私、隣の人に寄りかかってた気がする…どうもすみません。そしてそっとしておいて下さってありがとうございました。人のありがたみを感じながら空港へ。
 長崎空港も改装したのか、前と違うような…??私はお土産を買わねば。荷物になるからと、ずっと買っていなかったのだ。「空港で買えばいいや」という気持ちでやってきたが、こんな朝から開いてるのだろうか。

〜セーフ!〜
 空港のお土産屋は開いてました。助かった〜。時間がないことが今さら判明し、大急ぎでお土産を購入。なんかよく考えてなかったけど、目についたのをどんどん買う。いきなり大きな荷物ができた。あとで振り分ければいいや。セキュリティーチェックで水のペットボトルを一時没収されたものの、無事通過。今回はベルトを大急ぎではずしました。めんどくさいけど、お手をわずらわせてしまいますからね。
 飛行機は無事離陸。さよなら長崎、今度はゆっくり来るね。

〜日常に戻ってきた〜
 あれ?この飛行機、クラシック音楽が流れてるような??誰かのイヤホンの音もれだったのかな。迷惑に感じる人もいるかもしれませんが、私はこれ気に入りました。電車でも流してほしいくらい。満員のイライラが半減すると思う。また満員電車を考えてしまうあたり、かなりストレスを感じていることがわかる…。
 そして東京に到着。関東寒い!!じろーさんからメールが来たが、やはり寒いとおっしゃっていた。あったかい長崎に帰りたいと思いつつ、私は学校へ直行。スペイン語には無事間に合い、テストが受けられた。東洋史のテストも(できたかどうかは謎だが)無事終了、荷物を抱えて家路についた。こうしてハードな旅は終了した。

〜おわりに〜
 今回はいつも以上に運の良さや人の助けを感じる旅となりました。出会った人、そして出会えなかった人もどこかで私を支えてくれていたことでしょう。本当に感謝です。心残りといえば、テストで頭がいっぱいで、使節のことをあまり考えられなかったことかなあ…次はいつもどおり浸りたいと思います。
 今回の列福式は、報道されても聞き流されてしまっているような印象を受けますが、私としては喜ばしいことでした。列福された人の中には、名前が残っていない人もいます。でもそういう人も列福され、認められるということに、何か勇気のようなものも与えられた気がします。
 そしてジュリアン、よかったね。使節ファンとしてとても嬉しいことです。これからも私を導いて下さい。

〜おまけ〜
 恒例のおみやげ紹介です。空港以外で買ったものも入れてます。慌てて購入したものは何だったのでしょうか。
・ちゃんぽんせんぺい(小)
・ちゃんぽんせんぺい(大)
・はなかご(スポンジケーキにざらめがついたお菓子でした。フィナンシェって書いてあった)
・ふくさ屋カステラ(小)
・クリームチーズタルト
・長崎チーズチョコレートラングドシャ
・九州限定ぷっちょ(いちご味)
・九州限定おっとっと(明太子と海苔味)
・お守りマリア
・殉教者地図+クリスマスカードセット
・「バチカンの名宝とキリシタン文化」展図録
・幕末月旦札(トランプ)
・ジュリアンの十字架

 下の方は趣味丸出しですねー…「はなかご」は今回初めて発見しましたが、お気に入りのお土産です。


+東京編+

 せっかく列福式に行ってきたので、福者になった人ゆかりの地もまわろうと思いたち、すぐ行ける東京にある史跡をめぐってきました。

〜お、お金が…〜
 列福式から半月ほど経った平日の午後、授業の合間に東京のキリシタン史跡をまわることにした。でもお財布見たら、入っていたのはおよそ700円!う〜ん…これで間に合うような範囲にしか行けない…というわけで、まずは浅草橋へ。「浅草・鳥越きりしたん殉教碑」を見に行きます。ここには、江戸時代にハンセン病院があり、今回列福された原主水(はらもんど)が身を寄せていたところだそうです。

**原主水についてメモ**
洗礼名ヨハネ。1587年(秀吉のころ)、下総国(千葉県)出身。幼い頃に家康の小姓をつとめる。1600年に受洗。その後順調に出世し、家康のそば近くに仕える。しかし岡本大八事件により迫害が厳しくなり、脱走。各地を転々とするが駿府に連れ戻され、両腿の筋を切られるなどして追放された。その後、キリシタンの隠れ場であった浅草にいたことがわかっている。


〜これは本格的に迷ってる〜
 JR浅草橋駅で下車、西口から出てみる。私は道がわからないといつも反対方向に歩いていく傾向があるため、今回は思った方と逆方向の右手の方へ向かってみる(しかし、やはりこれが逆方向だった)。浅草橋は手芸ビーズの店がたくさんあるなあ…あれ??私ここ来たことあるよ、すっかり忘れてた!そして道を覚えているはずはなく、やはり迷った…今日は本に載っている地図を見ているのだが、目印は「鳥越神社」「蔵前橋通り」「消防署」「カトリック浅草教会」…教会の裏手に碑があるようなので、とりあえず教会を探してみる。

〜また「とりあえず」目標〜
「○○教会」の看板が見えたので、行ってみる。あれ?これカトリック教会じゃないみたい、名前も違うし。住宅街から大通りへ出て、次の目標を定める。「蔵前橋通り」なら看板もあるだろう。コンビニで訊こうかとも思ったが、信号の上に「蔵前橋通り」の表示を見つけ、とりあえず通りまではたどり着けた!

〜近くなってきましたよ〜
次はその通り沿いにあると思われる「鳥越神社」を目指す。だいたいの駅の方向から見て、左に行ってみる。あった、道の反対側に大きな鳥居が!どうやらこの神社にはバスが来るらしい。ここからしばらくまっすぐ進み、思い切って左の細い道へ入ってみる。消防署…はいまいちよくわからなかったものの、このあたりのはず…。近くに高校もあるので、わからなくなったらそこに行って再スタートだ。
 慎重にキョロキョロしながら歩いていると、教会っぽい建物発見。やっとカトリック浅草教会です。こじんまりしながらも、庭付きの可愛らしい教会でした。よし、この裏だ。教会脇の細い路地を進む。

〜あったあった〜
紆余曲折はあったものの、無事たどりつきました。「浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑」です。

ちゃんと解説板もありました

教会の裏手の一角はきちんと整備され、木が植えられていました。やっと着いたー、方向音痴のせいでボロボロに疲れた…。私の持っていた本によると、JR浅草橋駅からは徒歩8分だそうです。私は30分近く歩いてしまったよ。ここのあたりは難しいので、訪問の際には駅員さんにでも素直に道を訊きましょう。向かい側には「cafe プネウマ」なるものがあった。プネウマは「精霊」ということだが、教会関係者だろうか。

〜ここからテンション下がってきます〜
 さ、疲れた体にむち打って、次の場所に向かいますよ。次は「札の辻」と「元和キリシタン遺跡の碑」を見にいきます。ここは、さっきも出てきた原主水が処刑された場所だそうです。
 浅草橋から田町へ移動。JR田町駅から、札の辻の交差点を目指します。駅を出るといきなり「←モデルルーム公開 札の辻交差点近く」の大きな看板が!わかりやすくて良かったけど、モデルルームかあ…。「モデルルーム」という私にとっては明るいイメージを持つ言葉と、「札の辻」という地名がちぐはぐしているように感じ、時代の流れを感じた。

〜発展の結果、車だらけ〜
 札の辻交差点にはすぐ着きました。広い道幅、車がビュンビュン通り過ぎていく。いちおう解説板もありました。東京よ、変わったなりに努力が見られていいと思うぞ。

札の辻交差点の歩道橋。
ちゃんと「札の辻」と書いてあります

拡大!昔の地名が使われているのは嬉しいですね

 さて、中学校の前を通って「元和キリシタン遺跡の碑」を見にいきます。写真で見ると大きなビルが建っている。あっけないほどすぐに発見、ビルの敷地と思われるような広場を奥へと進み、階段を上ります。上りきると、突き当たりに大きな石がドーンと置かれ、隣に「都旧跡 元和キリシタン遺跡」と刻まれた碑がありました。一番右には、解説文がはめこまれた自然石があり、その前にユリの花が…誰か来たんだね。まわりに誰もいないので、練習していた「やみに住む民は光を見た」を小声で披露。いつもは何もできずに帰ってくるが、少しはキリシタンの慰めになっただろうか。

ドーンと置かれている石 「元和キリシタン遺跡」の碑

碑のもとから階段を見下ろす



〜さらにテンション下がる〜
 知らないおじさんがやってきたので、立ち去ることに。階段にフリーペーパーが落ちてたよ、なんか申し訳ないので拾って帰る。捨てるなら最初からもらわないでいただきたい。
 帰りは札の辻の歩道橋に上がってみました。当時ここは江戸の入り口で人通りが多かったそうです。今も人の多さは変わらないかな。車になってるけど。そしてここからは江戸湾が見えたそうですよ。

札の辻の歩道橋から田町駅方面を臨む

 ちょっと悲しくなりながら駅へ向かう。いつも思うけど、東京って開発しすぎだよなあ…開発せざるを得ないのかもしれないけど、もう少しなんとかならないものか。

〜先立つものがないと何もできませんね〜
 帰りの電車で、落ちていたフリーペーパーを読む。早く捨てればいいのに、何か面白いことはないかと探してみた。まあまあ面白いけど今の私には必要ない情報だと思い、電車を降りてからごみ箱に捨てた。なんだか物悲しくなった東京見物でした。
 ペトロ岐部も江戸の殉教者です。彼は江戸の小伝馬町牢屋敷で殉教したそうですが、今回は費用がなくて行けず…原主水も捕まって小伝馬町に来ているので、いつか行ってみたいと思います。牢屋敷の様子は日光江戸村に復元展示されてましたよ!雰囲気を知りたい方はぜひどうぞ。

水桶 日光江戸村の一例。
なぜこんな写真しか撮らなかったんだろ、自分…



今回「東京編」で参考にしたのはこちら↓学校の購買で衝動買いしました。
『ペトロ岐部と187殉教者 歴史・巡礼ガイド』ドン・ボスコ社,2008.


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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



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