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使節あれこれ その6
使節が見たヴェネツィア

 ヴァリニャーノが書き、サンデがラテン語に訳した『天正遣欧使節記』には、ヴェネツィアの様子が細かく載っています。こういう細かい記録は、使節がメモしてきたものを、ヴァリニャーノが引用したものと考えられています。確かにいくら頭のいいヴァリニャーノでも、窓の数だの何の彫刻だのなんて、見ても覚えてないですよね(^^;)。
 そこで、現在の様子と当時の様子、どのくらい同じなのかを、史料を使って見てみたいと思います。彼らが見たものとほとんど同じだったら、嬉しいですよね(ここ重要)
 使うのは以下の史料です。

エドゥアルド・デ・サンデ(泉井久之助ほか訳)『デ・サンデ天正遣欧使節記』 新異国叢書5、雄松堂、2002年(初版1969年)。

 これは使節が帰国後、ミゲルの親戚に、使節がヨーロッパについて話す形式をとっています。と言っても、ほとんどミゲルが(得意げに)おしゃべりしてる本です。
 早速ヴェネツィアについての記述を見ていきましょう。

★広場について

 話をこの広場(サン・マルコ広場)から始めるにあたって、あなた方におらかじめお願いしたいのは第一に、われわれが自身で実際に見たその広場は、非常に広くて四つ続きの平面からなっていることを心の中で想像していただきたいことだ。
 …(中略)…この広場の総体のうちの一つは、大統領宮殿の前面にあって海に臨んでいる。第二の部分は〔これに続いて〕海のそばに立つ二本の円柱から〔北へ向かって〕時計塔に達する〔ところのいわゆる「小広場」、ピアッツェッタといわれる〕ものであって、宮殿の西側面を経て、聖マルコ寺院の正面の先まで及んでいる(普通は宮殿の西側面の終わりまで)。第三の広場は、西に正面を持つその寺院の前面にあって、西端の聖ジェミニャーノ聖堂に至る長い距離にわたって広がる聖マルコ大広場である。最後に第四のものは、寺院の他の側面(北側)を占める(レオーニ小広場)である。

 広場の説明をしております。現在の様子はどんな感じでしょうか。

広場その1。「大統領宮殿の全面にあって海に臨んでいる」広場
広場その2。「海のそばに立つ二本の円柱から時計塔に達する」広場
広場その3。「西に正面を持つその寺院(サンマルコ大聖堂)の前面にあって、西端の聖ジェミニャーノ聖堂に至る長い距離にわたって広がる聖マルコ大広場」。
聖ジェミニャーノ聖堂は現在見当たりません
広場その4。「寺院(サンマルコ大聖堂)の他の側面(北側)を占める」レオーニ小広場。

 史料とほとんど一緒!!!!!
 なくなってしまっている建物もあるみたいですが、主要な建物はほとんど残っていて広場もそのままです。私はガイドブックを見ながら史料を読んでいて、紙面の小さな写真に2本の柱が写っているのを見たときは「わ〜〜〜」とはしゃいでしまいました。
 史料に戻ります。

★鐘楼について

 まず最初に、聖マルコ寺院の鐘楼の話をしよう。これは〔その鐘によって大変有名なものであって〕、位置からいえば、その一方の側では一番大きい聖マルコ広場に面し、他方では寺院所属のピアッツェッタに面している。この塔の造作は実に精巧なものであって、第一にそれは大理石に似た非常に白い石でつくられて美しく、第二にその聳え立つ高さは316フィートに達し、その高さだけでも驚嘆すべきものであるが、最後にその最頂上には、青銅で鋳造して金を被せた天使の像が立っている。この像は、人類にとって望ましい平和と仕合せをその手で指し示し、その高さは16フィートである。

 鐘楼の話になりました。私は初めて見たとき、鐘楼のどっしり感に圧倒されました。「え、でかっ!!」という感じです。

鐘楼です。史料では「白い石でつくられ」と書いてありますが、現在は茶色いところが多い印象です。旧鐘楼は20世紀に入ってから地震で倒壊したので、作り直されました。でも姿は昔のと変わらないように作ったとのことでした(サンマルコの解説DVDより)

屋根に乗ってる天使。ズームイン撮影、さらに写真拡大。
「その最頂上には、青銅で鋳造して金を被せた天使の像が立っている。この像は、人類にとって望ましい平和と仕合せをその手で指し示し、その高さは16フィートである」

ちょっと長いですが、鐘楼の話が続きます。

この塔自体の形は四角形で、その各面にはそれぞれ建物の本体から浮き出た円柱が5本ずつあり、この柱は間隔を置いて立っていて建物全体をいちじるしく目立たせているのであるが、それをあなたが上方へと眼で追ってゆかれると、やがて眼は幾つもの鐘が掛けられている穹窿なりの天井をもつ小部屋に達するであろう。塔の本体そのものはきわめて美しく仕上げられたこの部分を上方の終着点として華やかに終っている。特別に鋳造された幾つものベルが存在するこの部屋は、見るからにいかにも心地よく造作もまた巧みを極めたものであって、その中で上を見れば天井の穹窿はいかにもよくできた構造であることが感じられ、これを4本の柱が四隅から支えているのであるが、この4本の柱の間には各側面に5本のよく磨きあげられた円柱が立ち、したがってこれらの柱の間を通じて鐘室は四方に開放されていることになり、鐘の鳴る音は遠く広くとどくことができる。ここまでが塔の本体であって、穹窿に続いてその上方では、塔は四角形を維持しながらも幾分か細く狭くなり、その部分に回り廊下になった二つの柱廊のバルコニーが設けられている。下の段の柱廊は大理石の柱で、上段のは等身大の青銅製の柱である。この回り柱廊の上に続いて、塔の各側面4つにはそれぞれ、大理石製の実に美しい各一頭のきわめて大きいライオンが据えられている。しかし塔はこの箇所からピラミッド形になって聳え立ち、その尖頂は、先に私がいったあの天使の像が、立派にこれを飾っている。この塔はきわめて巧妙につくられた階段で登ることになっているが、しかしこの階段は、塔内の四壁に沿うて回りながら登るのである。その長さを問わず階段のひと区切りの最後を登りきった後には必ず小さな部屋が設けられ、ちょうど休息に都合のよい足休めの場所になっている。そこは窓を広く取り、十分に陽光を採り入れて非常に明るくしてある。したがってこれを全体としてみれば、塔の各壁面が、上へ上へと重なりあってゆく多くの大きい窓を持ち、おかげで塔内は光が十分で明るく、眼のためにも快いものになっている、だがこのようにできている階段は、決して段々でつくられているのではない。馬でも、その他の駄獣でも、容易に登ってゆける平らかな登り坂になっているひと続きの舗道である。

中には入っていないので現在どうなっているのかわかりませんが、使節の時代は坂道で登っていけるようになっていたようです。

よく見ると、「階段のひと区切りの最後を登りきった後には必ず小さな部屋が設けられ、ちょうど休息に都合のよい足休めの場所になっている。そこは窓を広く取り、十分に陽光を採り入れて非常に明るくしてある」という記述のとおり、各側面に小さい窓がありますね

★広場周辺の建物について

 次は広場を囲む建物の説明のようです。

 この塔の他に、上に述べた聖マルコ広場に面して塔と同じ南側に、長大で豪壮な建物があって広場の南側を占めている。これは俗に聖マルコの行政司館と称せられるものである。…(中略)…高官たちのいる行政司館は三階造りの感嘆すべき造作の建物であって、そこには上階・下階、二つの長い廊下が通り、共に技巧をこらした円柱に支えられて、目に立つ姿を呈している。というのは、円柱の綱のように捩れた形、その柱の丸い台座、柱頭の飾りなどが、実に見事な技術を見せているからである。

これのことを言っているようです。
現在は行政長官府となっている南側の建物。史料にある柱の説明は内部の装飾のことかもしれません

 同じ広場の向側〔北側〕に南面して、これに劣らぬ大きさの〔同じく行政司たちの〕、もう一つの建物があって、広場の北側はこの建物だけでいっぱいになっている。

北側にある建物。現在は行政長官府旧館とのこと

★時計塔について

 さて、次は時計塔です。

そしてこの建物(現在の行政長官府旧館)の東端まじかにはなはだ有名なもう一つの塔が立ち、この塔に公設の時計が嵌め込まれている。…(中略)…この塔は、聖マルコの大広場から市中の街路へ出る広大な門をなすアーチに支えられてその上に立ち、塔の面にだいたい正方形のかたちが見事に嵌め込まれ、その内から太陽光線にあわせた時刻の印を間隔をおいて円形に書きめぐらし、正方形の下には十二獣帯〔十二宮〕の印、及びこれらの印に対する軌道上の太陽と月との合と衝との位置関係が紫色を用い、また黄金を被せた印で描かれているのが見える。この正方形の面の上にはさらにもう一つの正方形の面があって、そこには聖処女が描かれている。そしてこの聖処女マリアの前には、両側に出入り口をもつ一種の小屋がバルコニーのように突き出ている。それで鐘を鳴らして各時刻の合図をしなければならなくなると、そのときにはいつでも両方の出入り口の扉が開かれて、一方の口から手にキリストの肖像を持ち、ラッパを鳴らしつつ天使の像が公衆の前に現れて来る。この像には、まるで生きた人間のような3人のマギ〔賢者〕が随伴していて、天使と共に、みなが画面の聖処女の面前に出て頭を垂れて敬礼を行い、歩を続けて反対側の入り口に入ると、やがて鐘が鳴るのである。…なおまたこの上にも、もう一つの正方形の面があって、そこには一匹のライオンの像が浮彫にされている。…(中略)…ところで最後に、一番上の場所には、人の姿を象った二基の青銅の立像があって、その間に一つの鐘が置かれ一つの時刻の合図をするために、槌を揮って青銅製の鐘の両側を打つのであるが、その有様は、彼らがまったく生きた人間であるかのように見えるほどだ。

「この塔は、聖マルコの大広場から市中の街路へ出る広大な門をなすアーチに支えられてその上に立ち、…」
おおお…ちゃんとアーチがある!!建物の構造も当時と同じ!!!

もう少し細かく見てみましょう。

時計の文字盤です。
「…塔の面にだいたい正方形のかたちが見事に嵌め込まれ、その内から太陽光線にあわせた時刻の印を間隔をおいて円形に書きめぐらし、正方形の下には十二獣帯〔十二宮〕の印、及びこれらの印に対する軌道上の太陽と月との合と衝との位置関係が紫色を用い、また黄金を被せた印で描かれているのが見える。」

アップにしたらピンぼけでした(;;)
「正方形の面の上にはさらにもう一つの正方形の面があって、そこには聖処女が描かれている。そしてこの聖処女マリアの前には、両側に出入り口をもつ一種の小屋がバルコニーのように突き出ている。それで鐘を鳴らして各時刻の合図をしなければならなくなると、そのときにはいつでも両方の出入り口の扉が開かれて、一方の口から手にキリストの肖像を持ち、ラッパを鳴らしつつ天使の像が公衆の前に現れて来る。この像には、まるで生きた人間のような3人のマギ〔賢者〕が随伴していて、天使と共に、みなが画面の聖処女の面前に出て頭を垂れて敬礼を行い、歩を続けて反対側の入り口に入ると、やがて鐘が鳴るのである。…(中略)…なおまたこの上にも、もう一つの正方形の面があって、そこには一匹のライオンの像が浮彫にされている。」
「ところで最後に、一番上の場所には、人の姿を象った二基の青銅の立像があって、その間に一つの鐘が置かれ一つの時刻の合図をするために、槌を揮って青銅製の鐘の両側を打つのであるが、その有様は、彼らがまったく生きた人間であるかのように見えるほどだ。」


時計塔、400年前とほとんど一緒でした!!からくりってまだ動くんだろうか。私が行ったときは見られませんでしたが…。

★謎の聖マルコのロッジェッタ

 さて、史料の続きです。

…(中略)…先刻私がお話した三つの会合の場所を持つあの建物(現・行政長官府)以外に、この建物と同じ側にはなお三棟の屋舎がある。これについてお話するなら、その第一のものは周囲に露台(テラス)をめぐらした建物で、かつてヴェネーツィアの貴族たちが心の疲れを癒すために、ここに集ることにしていた所だが、今では日曜日に貴族たちのすべてが共同してここで会合を行ない、これには毎回、先に触れた聖マルコの行政司たちがそれぞれ従者を連れて、その場所で監督・警戒をするためにやって来る。この露台をめぐらした建物〔聖マルコのロッジェッタ〕の前面を占めて、コリント風の四基の巧みな青銅の像がある。すなわちパルラース〔アテナ、ミネルヴァ〕とアポルローンとメルクーリウス〔ヘルメス〕とパークス〔平和の女神〕であって、これらはその有名な元老院の智慧、雄弁、一致〔意思の疎通〕、及び平和を示している。これらの像の上には三つの正方形の面があって、各面の中央にこのほか多くの像の浮彫を含み、その像の中には驚嘆すべき作もある。

これなんだろ…?今はもうないのかしら?と思い、現地では全く思い出さなかったのですが、帰ってきてから考えてみると、

どうやら、これらしい。
鐘楼の下にあるので、鐘楼の入口かと思って無視してた

★わかりやすい手がかりで見てみましょう。
「この露台をめぐらした建物〔聖マルコのロッジェッタ〕の前面を占めて、コリント風の四基の巧みな青銅の像がある。すなわちパルラース〔アテナ、ミネルヴァ〕とアポルローンとメルクーリウス〔ヘルメス〕とパークス〔平和の女神〕であって、これらはその有名な元老院の智慧、雄弁、一致〔意思の疎通〕、及び平和を示している。」
確かに4体ある像を拡大してみます。
これは…??
盾を持っているようです。
アテナかな??
マントっぽいの着てます。
残り3つから選ぶとすると、
アポロン?
ヘルメスでしょうか。
足下が羽根つきサンダル
だったら確実
最後は消去法で
パークス

 史料には「すべての貴族たちが集まってくる」みたいなことが書いてありますが、いやいや、そんなに人は入れないでしょ!と言いたいくらいこじんまりしている建物です。貴族が全部で何人いたのかわかりませんが、定員はせいぜい20人くらいかと。
 ちなみにネットで検索してみると、「Loggia de Sansovino」というので出てくることが多いです。作った人の名前のようです。

★聖マルコ寺院の文書館(現・マルチャーナ図書館)について

…(中略)…これは聖マルコ寺院の文書館と称せられ、大統領宮殿の西に向い合わせに建てられている。…(中略)…何よりもその正面はドーリア式やイオニア式にさまざまの円柱や柱頭や廂にかかる花環や花の縄模様で装飾されているし、特にその下段のバルコニーの前面は16のアーチができているほど多くの柱で支えられ、そのアーチごとにその中央にきわめて美しい像が多数に置かれている。しかもアーチそのものの正面にはそれぞれ一つに一つずつ、ライオンの頭、男の頭、女の頭が交互につくりつけられている。このようなアーチの縁飾りをする花環や花の縄模様はまた種々な方形模様をはさんでたがいに他と区分せられ、その方形の中には、ごく小さな像が浅い浮彫細工になっていて人目を惹くのである。こうした花飾りのついたアーチの上にはもう一つのバルコニーがあって、きわめて精巧な出来の小型の支柱によって豊かな変化が与えられている。この小型の細い支柱は数が多いものだから、その上にはその4本の柱で一つ一つを支えた形になっている窓が16あり、そして窓の角には翼のついた婦人の像が突き出て見える。しかもこの階のアーチにも、右に私がお話しした〔獅子と男子と女子との〕頭の彫刻が交互に置かれているのが見える。この16の窓の上にはさらに別の花飾り模様が高くかかっていて、そこに卵形の16の小窓があり、この卵形の小窓は下の16の窓と16のアーチと上下よく揃って対応している。さらにその上にもまた同じ様式の同じ支柱に支えられた他のバルコニーが聳え、その頂上の棟には驚くべき技術を発揮してつくられた16基の像が安置せられている。

「聖マルコ寺院の文書館」、現在はマルチャーナ図書館です。
窓の数などは史料とは違いますが…
「アーチそのものの正面にはそれぞれ一つに一つずつ、ライオンの頭、男の頭、女の頭が交互につくりつけられている。」
拡大してみましたが、よく見えず…

(参考)コッレール美術館の方の装飾。「ライオンの頭、男の頭、女の頭が交互につくりつけられている」。
たぶんマルチャーナの方もこんな感じのがついてるのだろう


 400年以上前の天正遣欧使節の時代から、ほとんど変わっていない聖マルコ広場周辺。信長や秀吉の時代の日本人が、ここに来ていたというのも驚きますが、彼らが見たものとほとんど同じものを、今でも見られるということにも驚きます(使節ファンとしてはそこが一番重要)。彼らがここに来て、何を考えてたのかなあと想像するのも、また楽しいひとときですね(^^)


参考文献: エドゥアルド・デ・サンデ(泉井久之助ほか訳)『デ・サンデ天正遣欧使節記』 新異国叢書5、雄松堂、2002年(初版1969年)。

(2015.2.15 作成)


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