恋風旅路 >> 天正遣欧使節 >> 使節あれこれ >>(その7)使節が見たメディチ家別荘〜プラトリーノ



使節あれこれ その7
使節が見たメディチ家別荘〜プラトリーノ


画家ジュスト・ウテンスによるプラトリーノの別荘の様子。確か使節が訪問した10年後くらいに描かれたみたいなので、使節が見たものに近いといいな(希望)



 ヴァリニャーノ著/サンデ訳の『天正遣欧使節記』や、フロイスが書いたとされる『九州三侯遣歐使節行記』には、使節がフィレンツェ郊外のプラトリーノにあったメディチ家別荘を訪れたときの記録が、細かく載っています。
 松田毅一『天正遣欧使節』でも、「『使節行記』も『対話録』も詳細にその離宮、殊に庭園と珍しい数々の噴水を描写しているのは、そこが特に印象深かったからなのであろう」とあり、私の中でもぜひ訪れたいスポットの1つでした。しかし松田先生は「今は荒廃に帰している」と書かれており、外国語に堪能でもない私は跡地にもたどり着けないだろうと思い、プラトリーノへの熱意はだんだん薄れていきました。
 しかしインターネットが発達したこの時代になり、いろいろ調べていると、どうやらプラトリーノ荘の跡地は公園になっており、今はイベントなどが開かれ人が出入りしているらしいことがわかってきました。これはぜひ行ってみたい。
 というわけで、主にインターネットのおかげで訪れることができた現在のプラトリーノの様子を、当時の史料に沿ってご紹介します。
 使うのは以下の史料(資料)です。

エドゥアルド・デ・サンデ(泉井久之助ほか訳)『デ・サンデ天正遣欧使節記』 新異国叢書5、雄松堂、2002年(初版1969年)。
ジュスト・ウテンスによるルネッタのためのテンペラ画「Pratolino」Villa la Petraia所蔵


★館の様子
 プラトリーノと呼ばれる館は五階建てである。一階ごとに14室あり、各部屋ごとに豪華な寝台、小卓、椅子があって、見事な壁布が飾ってある。

 別荘の建物は、残念ながら現在は残っていません。

ウテンスのテンペラ画より。こんな建物だったようです

建物があったところ。メディチ家の後に別荘を引き継いだデミドフ家の像があります

何も残ってないかと思いきや、発掘されていました。噴水に使っていた配管などがあるようです。使節が訪れたときは、この配管は現役だったことでしょう

 メディチ家の別荘は他にも残っているものがあるのに、ここの建物がないのは大変残念ではありますが、配管の跡が見られたのは大きな収穫でした。インターネットでは見つからなかったので、やはり現地に行かないとわからないこともありますね〜。
 史料に戻ります。

★庭の様子、噴水について

  館の周囲には樹木を植え込んで森のようにしてある広大な緑地がある。さらに爽やかで涼しげな雰囲気を加えるため、水量の多い噴泉が20あまりある。どの噴泉にも人智の限界を超えるような発明と工夫を見ることができる。あるときは顔に、あるときは背中に、またあるときは両足の間に噴水の筒が向けられる。また上の方から雨水のように降ってきて、これを避けて逃げようとするところでまた別の隠れている仕掛けに引っかかって逃げ出せないようなことも何度かあった。
 噴水は大理石や青銅で作られ、魚や水中の樹木が優れた技巧で作られている。多くの車輪がその中で回転している。車輪のうちには二つの扉によって分かれているものもある。一方の扉から入ると上方に扉が開き、水星の人をかたどった青年がそこから現れ、コルネットを吹く。すると、しばらくして扉が開かれ、魚に乗った水の女神ガラテヤが現れ、出口の扉がある泉の端まで泳ぎ、その間別の二人のニンフもついていく。しばらくそこにとどまって、閉じている門まで引き返してくると、門が開いて、ガラテヤとニンフはそこに戻って行く。これは全て人の創意と水の力によるものである。
 また別の噴水には両手にラッパを持って吹き鳴らす一人の天使がいる。その音にともなって、噴水のあたりに横になっている蛮人が両手に持っている鉢を高く掲げ、泉から吹き出ている水を鉢からあふれるくらいに汲み、水が満ちると両手で鉢を捧げる。そこに蛇がおり、頭と首を傾けて、鉢の水を一滴も残さず飲む。こうして再び鉢に水をくみ、蛇に飲ませるということを繰り返す。
 また別の噴水では、水が吹き出すと、大きなトカゲが泉から出てきて、同じ泉にある岩山に隠れる。
 また別の噴水では、片手に球を持った少年がいて、すばしこく歩み、球面の多数の水口から水を吐き出せば、同じ泉にいる鴨が二羽、走りながらそれを飲む。
 他の噴水では、大きな鴨が一羽いて、泳ぎながらくちばしを入れて水を飲むのみだが、あとで周囲の人々にその水を霧にして吹きかける。
 また別の噴水では、一方にサテュロスが一人、両手に7つのフルートを束にして持ち、もう一方にニンフが一人、半身を水中に浸している。ひざまずいているサテュロスは起立し、フルートを口元に持ち上げ、爽やかな音を奏で始める。その頭上で婦人2人と男子2人が踊る。よい拍子で踊りが続けられる。
 このような噴水や多くの泉はすべて、下方の館の内にあり、様々な仕掛けをそなえた人口の岩礁でできている。館と噴水で5万クルザードあまりを費やして作られた、高価なものである。
 館の頂上と周りの壁にも至るところに水の管の仕掛けがあり、雨と思われるように、筒口から水が噴き出し、急に降ってくる巧妙な構造になっている。
 上方の館へ昇っていける階段が二つ、両側にあって、ここでも非常な量の水が噴水口から吹き出される。まるで内部に雨が降ったかのように、大人二人分の背丈まで届くほどの勢いで噴出する。
 一方には長い廊下があって、上部に1500あまりの噴水口が設置してある。この廊下を通過するときには、まるで天から雨が降ってきたと思うほどである。

 主に噴水の話ですが、史料にも書かれているとおり、ほとんど別荘の建物にあった噴水のことなので、今は残っていません(建物の中に噴水があるというのも驚きですよね。私は噴水というのは屋根のないところにあるものと思っていたので、史料だけ読んでいると頭の中が?だらけになりました)。
 「上方の館へ昇っていける階段」は↓これっぽいですが、上の段の丸くカーブがある階段なのか、下の階段を指しているのか判断できず。仕掛けがあるようなので館に近い丸い方かな?
別荘の建物自体はなくなってしまったのでカーブがある階段は現存していないですが、下の階段と柵は現在も見ることができます
(下の写真ご参照ください)↓
(ちょっと斜めでわかりにくくて恐縮です)
真ん中に置かれている像はムニョーネ像(ムニョーネ川の擬人化)とのことです。ウテンスの絵にも(白い塊にしか見えないけど)描かれているので、使節が来たときもあったようです。その両側から上に登れるようになっており、登ったところに別荘の建物がありました


 続きです。
 他の泉には、獅子一頭と馬一頭が支えるアーチの門がある。その下に女4人、男1人がいて、乳房や様々な部分に水管を配置し、アーチそのものにも1000あまりの噴水口がある。

アーチの門」はこれのようです。現在はフィレンツェのバルジェッロ美術館にあります。一時期ボーボリ庭園に移されたりしたそうですが、きちんと保管されていてよかった
ウテンスの絵だと(アーチがないけど)これのようです。別荘の建物の南東にありました。柱のようなものも見えます。この下には傾斜を利用して、池が続いています


 庭園には高い岩の上に作られた泉がある。そこにはニンフが9人、いろいろな楽器を演奏しており、アポロがその指揮をとっている。この噴水はまだ完成していない。

 この噴水は残念ながら残っていません。今は更地で、野原になっているようです。

ウテンスの絵だと右下の方にある岩山です。ギリシャ神話のパルナッソス山が表現されていたそうです。この山の中に水で動くオルガンが仕掛けられていたそうですが、使節の記録には出てこないのでオルガンはまだ作成途中だったのかも(オルガンを聴いていたら、驚きのあまり絶対に記録すると思うんですよね…)

 お次はこちら。

 また、他の泉には他と比べ物にならないくらい大きな巨人像がある。頭部の空洞には大人12人が入れるくらいである。この巨人は大きな池に落下する水を常に放出している。

これです。今もありました!現在はプラトリーノのシンボルになっている「アッペンニーノ」像です(アペニン山脈の擬人化だそうです)。頭部の空洞は現在は立ち入り禁止ですが本当に入れるようになっており、アッペンニーノの目から外が見えるようになってるそうです。その昔、別荘に来た客の様子を覗くために使用したとか

 アッペンニーノは、別荘の裏手(北の方)にありました。ウテンスの絵には描かれていません。


★庭にある鳥かご

 この庭園には鉄の棒で作られた鳥かごがあって、地上の大きな洞穴の上に置かれている。内部には様々な種類の小鳥が棲んでおり、その歌で優しい調べを奏でている。小鳥のために多くの木や前に述べた噴水にも劣らない、美しくて価値の高い泉も設置されている。鳥かごの長さは120パッソ、幅は30パッソあって、5000クルザードの価値がある。

現在の鳥かご跡地の様子。階段がありましたが下には降りられず。写真奥の壁ぞいにある3段がさねケーキみたいなやつが噴水かな?とも思いましたが、よくわかりませんでした。デミドフ家の時代にはプールとして使用していたそうです。この窪みが「地上の大きな洞穴」の跡地なのかな?


 メディチ家の没落にともない荒廃してしまったプラトリーノ。仕掛け噴水など珍奇なものをたくさん置いていたので維持費がかさみ、多くのものが壊されてしまったのは仕方ないことだろうと思います。引き継いでくれた一族には感謝したい。現在はフィレンツェ市が所有しているとのこと。数々の噴水を復元してくれないかなあ…なんて思っています。


参考文献: エドゥアルド・デ・サンデ(泉井久之助ほか訳)『デ・サンデ天正遣欧使節記』 新異国叢書5、雄松堂、2002年(初版1969年)。

(2024.4.7 作成)
(2024.4.14 追加)



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