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使節あれこれ その2-2
ミサいまむかし

 前項ではミサについて簡単に(適当にともいう)取り扱ってみましたが、「じゃあ、実際どんな感じなんだ?」という疑問がわいてきます。
 カトリック教会に行けば、今でもミサが行われているので、いつでも見学できます。浦上天主堂なんかは観光地なので、のぞきやすいですねー。日曜日に行くと見られたりします。
 
しかし、現代のミサを見て「こんな感じかあ〜」と満足してはいけません。使節の時代のミサは、違う形式だったんですねー。というのも、1960年代に第2ヴァチカン公会議というのがあって、そこでミサ形式が改められたからなのです。昔の形式のミサはトリエント公会議(1540年〜1563年)という会議で確立されたもので、この形式が安土・桃山時代の日本にも持ち込まれていたと考えられます。この形式を「トリエント・ミサ」と呼ぶこともあります。
 では、今のミサと使節の時代のミサ、何が違うのでしょうか。

1. 昔のミサは全てラテン語で行われていた


 大きな違いはこれです。昔のミサはなんと、全てラテン語…!!全世界共通で、どこの国でもラテン語で行われていました。もちろん、日本でも例外はなく、日本人信徒がいようがいまいが、ラテン語を使っていました。「わー、キリシタンはラテン語がわかるんだ!」と感動してしまいそうになりますが、完全に理解はできなかったと考えた方が自然かと思われます。1960年代までは、使節の時代と同じ形式のミサを行っていたので、参考に1950年代くらいのミサの本を見てみると、ラテン語と日本語併記です。やっぱりラテン語の言葉をミサの中で即座に理解するのは難しいんですね。私事ですが、英語を10年勉強しても即座に理解するのは無理ですからね。どうしようもないほどできないですからね。
 「ミサ」という言葉自体、ラテン語からきています。これはミサの最後に司祭が言う「Ite, missa est.」という言葉の「missa」から取られており、本来は「散会」という意味だそうです。日本では「御みいさ」と呼ばれたりしていました。なんか日本っぽい言い方ですね。現代の信者さんでも、丁寧な方は「ごミサ」と呼んだりしているのを聞きます。ちなみに聖人像などが刻まれたメダルは「おメダイ」、聖人が描かれた絵は「ご絵(ごえ)」という。なんか日本っぽい言い方で面白い。

2. 祭壇の位置が壁際だった

 
聖堂内の見た目ですぐわかるのはこれです。現代は祭壇のテーブルは壁から離れ、司祭は参列者の方を向いて司式するようになっています。みんなで食卓を囲んでいるイメージです。トリエント・ミサでは、祭壇は聖堂の一番奥にあり、壁にくっつけて設置されているのがほとんどでした。古い教会に行くと、今でも壁際に昔の祭壇が残っていて、その手前に現在の祭壇が設置されていたりするところもあります。神父をやっている50代の先生にうかがったところ、自分が小さいころに教会の工事をしていたとのこと。祭壇を設置しなおしていたんだろうとおっしゃっていました。

昔の祭壇と現在の祭壇が併置されている例。奥の壁にくっついてるのが昔の祭壇、手前のテーブルが現在のミサで使う祭壇。イスラエルの教会にて


 
現代のミサでは、司祭はずっと会衆の方を向いていますが、昔はほとんど背を向けっぱなしでした。旧式の祭壇で現代のミサを行うという場面に遭遇したことがあります。司祭が背後の祭壇からパンをとってこっちを向いて…とやっているので、なんかやりにくそうだなーという違和感をもちましたが、それを見たときは何が原因なのかわかりませんでした(^^;)


 これを知ると、カトリック教会に行って、祭壇の様子を見るのも面白くなってきますよー。「お、ここは古いのがある!」等、感動ポイントが増えます。
 トリエント・ミサについては、今はたまーーーーに行われたりします。が、滅多にないので、見たい!というときは某有名動画サイトで探してみると出てきたりします。興味ある方はぜひ。



(2013.08.18 作成)


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