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使節あれこれ その2-1
ミサ

 キリシタンはポルトガル語で「キリスト教徒」の意味ですが、キリスト教徒にとって大切なものがミサという儀式です。安土・桃山時代に来日した宣教師たちも、毎日ミサを挙げていたと考えられ、日曜日やキリスト教の祝日には、日本人信徒も集まってミサに参列していました。ヴァリニャーノが記したセミナリヨの日課表からも、毎朝ミサの時間が設けられていたことがわかります。
 でも…ミサってなんだろう??文献で見かけるたびに感じていた疑問です。何かの儀式だろうけど、具体的に何をしているのか謎…。信者であれば当たり前にわかるものが、日本によくありそうな家庭で育ち、神社にもお寺にも行ってクリスマスにはケーキを食べることしかしてこなかった私にはわからない。「祈り」ならまだ何となくわかるのだが。キリシタンは集まって何をしているのだろう。
 おそらく、多くの日本人が疑問に思う「ミサとは何なのか」ということを、ここで取り上げたいと思います。
 しかし、あくまでも私の気持ちとしては「ミサって神父さんがやるんだよねー、使節で神父になった子もやったかなあ」というしょうもないものなので、難しいことはナシということで。ミーハーな心は大切に。

1. ミサは最後の晩餐を再現している


 深く考えるといろいろあるみたいですが、とりあえず見た目はこれです。ダ・ヴィンチの有名な絵画があるので想像しやすいと思いますが、ミサではあれを再現しているんですねー。と言っても、ダ・ヴィンチが描いている「この中に裏切り者がいる」「えぇっ!?」という場面ではなく、その前にパンとぶどう酒を使徒たちに分け与えた、というところを再現しているんですね。というのも「わたしの記念としてこのように行いなさい」と、イエスがそのときに言ったからなんです。

2. 信者がミサでやっていること

 
いろいろな信者がいるので、ミサの考え方・ミサでの過ごし方は人それぞれだとは思いますが、現代のミサでは信者は「パン(聖体:せいたい)」をもらいます(聖体拝領という)。でもパン屋さんのおいしいパンではなく、酵母を入れない平ベったいパリパリのパンで、味は小麦の味しかしません。このパンはミサを通してキリストの体になると考えられており(聖変化という)、信者はキリストの体と思ってこれを食べます。以前、信者でない友人に話したら「気持ち悪いね」と言われましたが、安土・桃山時代の噂でも「キリシタンや宣教師は人肉を食べている」というのがあったらしいので、キリスト教に慣れていない日本人としては、こういう反応をするのかな、と思いました。これもイエスがパンを取って「これは私の体である」と言ったことに由来しています。信者はこれを食べて自分の体に入れることでキリストとの一致やキリストの犠牲を考えてみたりします(考えることは人によって違うので、あくまでも一例)。

3. キリシタンはどうしていたか

 現代のミサではパンがもらえますが、キリシタンの時代には「畏れ多いこと」として、ミサで頻繁にパンをもらうことは少なかったようです。その代わり、ミサの中でパンが掲げられるときに、それを見て熱心に祈っていたようです。復活祭(イースター)や降誕祭(クリスマス)のような大きい祝日のときにはパンをもらうこともあったみたいです。あと、高山右近のような武将は戰の前に聖体拝領していたという話もあります。


 さて、ミサについてなんとなく書いてみましたが、いかがでしょうか。細かいことはいろいろあるみたいですが、ざっくりで終わることにします。
 次の項目では、使節の時代を想像する(ようするにミーハー心)ために不可欠な、昔のミサ形式について触れたいと思います。

(2013.08.17 作成)


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