恋風旅路 >> 天正遣欧使節 >> 使節あれこれ >>(その5)教会の暦



使節あれこれ その5
教会の暦

 今では当たり前になった日曜日、月曜日…という曜日ですが、天正遣欧使節の時代の日本人はキリシタンしか使っていませんでした。
 曜日以外にもキリスト教には独自の暦があり、使節の記録にも「復活祭」とか「聖○○の日」という具合に出てくるので、日付けを特定するヒントになったりします(○月△日って書いてくれないのでもどかしいところではありますが)。
 この暦は「教会暦」とか「典礼暦」と呼ばれ、信者はこれに沿って信仰生活を送ります。では、使節も使っていたこの暦、一体どんなものなのでしょうか。使節はカトリックなので、カトリックの暦を見てみましょう。


<カトリック教会の暦> ※教派によって呼び方・日付けが違うことがあります



増田洋『新しい典礼暦の研究』エンデルレ書店, 1977. より 

 わかりやすい図をお借りしてきました。だいたいこんな感じです。上図のように季節が分かれていて、それぞれのイメージカラー(典礼色)があります。

●待降節(たいこうせつ)…キリストの降誕を待ち望む季節。「待降節第一主日(日曜日)」から12月24日まで。教会暦だとここから「新年」が始まる。イメージカラーは待つ意味を表す紫。「待降節第一主日」は、クリスマス前の4回の日曜日のうち、一番最初の日曜日。

●降誕節(こうたんせつ)…キリストの降誕を祝う季節。「主の降誕の祭日(クリスマス、12月25日)」から「主の公現の祭日(主の洗礼、1月6日)」まで。イメージカラーは栄光や勝利を表す白。1月6日は東方の三博士(マギ)が贈り物を持ってキリストに会いに来た日を祝う「主の公現」の祭日。

●四旬節(しじゅんせつ)…キリストの復活を待つ季節。「灰の水曜日」から「聖土曜日」まで。イメージカラーは待つと同時に忍耐の意味も表す紫。「灰の水曜日」は聖木曜日(復活祭直前の木曜日)から数えて44日前の水曜日、「聖土曜日」は復活祭の前日。

●復活節(ふっかつせつ)…「復活の主日」から「聖霊降臨の主日」まで。イメージカラーは白。「復活の主日(復活祭)」は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日。「聖霊降臨の主日」は復活祭から50日目の日曜日。

●年間(ねんかん)…上記の季節以外の日。イメージカラーは希望を表す緑。

●終末(しゅうまつ)…「年間」の終わりごろ。この期間、とはっきり決まってはいないが、「王であるキリスト」の祭日(待降節前の日曜日)が近くなると「終末だなあ〜」という感じになる。ミサで読まれる聖書の箇所も「ヨハネの黙示録」の怪物が出てくる部分など、世の終わりっぽい感じの内容になる。

 日付けが決まっているもの以外はわかりにくいので、うっかりすると忘れます(^^;
 日本ではようやくイースターが広まってきたかな?という程度で、クリスマスのときみたいに「街中がクリスマス!!」って雰囲気にならないので、気分が盛り上がらなかったり(一番大事な行事なのに)。もう卵とウサギの日でいいから、もっと日本でも広まるといいなと思います。

<典礼色について>

 上でも出てきている典礼色ですが、上記の「紫」「白」「緑」の他に「赤」もあります。赤は血や火、回心や哀悼を表し、「聖霊降臨の主日」以外に「聖○○の日」のような殉教者の日にも使います。何に使うのかというと、その日のミサで使う司祭の服の色や、祭壇などの掛布の色にも使われたりします。「年間」が一番長いので、たいていは緑ですが、何も知らずにミサに行って、司祭が赤い服だったりすると「おっ、今日は何か特別な日だったか!」というふうになります。気分的にも違うので、結構重要だと個人的には思います。

四旬節中の聖アントニオ教会(マカオ)
これは聖櫃(パンを保管しておく入れ物)かな??四旬節カラーの紫の布がかかっています。手前のろうそくも紫ですね


 天正遣欧使節の時代は典礼色があったのかどうか、というのがこのサイトとしては重要になってくるわけですが、当時の史料には、次のように書いてあります。
参考文献:海老澤ゼミナール校註『吉利支丹心得書』切支丹文庫 六, 聖心女子大学カトリック文化研究所, 1958.

かの□ろんたる(ふろんたる frontal:祭壇の前に飾る垂幕のようなもの)の色ハ五ツニあり。しろい、あかい、あをい、むらさき、くろい。

 「□」は虫害などで抜けてしまっている部分です。この前の部分には聖堂内の各部についての説明があり、続けて祭壇の装飾についての説明があります。
 これによると、祭壇の前に飾る幕の色が白・赤・青・紫・黒の5色あることがわかります。省略しましたが、教会は、時期によってこの色を使い分ける、と書いてありました。
 次は、それぞれの色の説明です。

あかいふろんたるハ、まるちりす(殉教者たち)の御□たミ(形見)かたみにたとゆる也。子細ハ、あかきいろは□るちりす(まるちりす)たちDu(神)の御はうか□(奉公)になかされ□□(流されたる)御□(御血)のしるし也。それに仍〔て〕、さんたゑけれじや(教会)□て(にて)、まるちりすのゆわひ(祝)日に彼御か□ミ□(形見を)きりしたん衆に見せ□□わん(たまわん)ために、あかきふろんたるをつかわせ□□(給ふ)也。

 赤い色は殉教者の血の色を表し、キリシタンが殉教者について思い起こせるように赤い色を使う、という具合でしょうか。殉教者の祝日に赤を使うのは今も同じです。

又白キふろんたるハ、こんへそれす(証聖者)とて、まるちる(殉教者)にて御さ(座)あらぬさん□す(さんとす:諸聖人)たちのゆわひ□□と(祝い日ごと)に、かのしろいふろんたるを□ざる(飾る)也。

 同じ聖人の祝日でも、殉教していない人については白、と使い分けます。赤と白ではだいぶ雰囲気違いますね。

又あをいふろんたるハ、つねのひ(日)つかい給□(ふ)。其子細ハあを□(青き)いろハ、ゑすへらんさ(希望)とて□□□のしミ(天の楽しみ)のたとへ也。きりしたん衆ハ善人に成〔り〕天のはらいそのへなへんつらんさ(祝福)へ参るへ□(参るべき)とのたのしミをもたるゝ心也。

 「あをい」と書いてあるので「ん??」と思いますが、たぶん今でいう「緑」のことかと思います(今でも緑の草などのことを「青々とした」って表現することがありますよね。昔は青と緑の区別がなかったようで、御年配の先生が緑色の壁を「青い壁」と言って生徒を戸惑わせてたのを覚えています(笑))。あるいは、本当に「青」なのかもしれませんが、今の教会で使う「緑」にあたることは間違いなさそうです。
 青い色は常の日(普通の日)に使っていました。青い色は希望を表すというのも現代と一緒。ただ、天の楽しみというのはあまり聞きません。昔ははっきりした意味付けをしていたのかもしれません。

又むらさきのふろんたるハ、へにてんしや(悔悛)〔の〕ぎやうたいにたとゆる也。それに仍〔て〕さ□□ゑけれしや(さんたゑけれしや 教会)、くわれい□□(くわれいすま 四旬節)の時分、あつ□□□□(アドベントと)□(又)せしゆん(大斎)の日に□□□(つかい)給ふ也。

 紫色を使う時期も今とだいたい同じです。四旬節、待降節(アドベント)、大斎の日。「大斎」は食事を少なくとり、肉食を控える日で、灰の水曜日なんかがその日にあたります。

又く□□□ろ□た□(くろいふろんたる)ハ、かなしミの□□せまなさんと(聖週間)□申〔す〕イエス・キリストの御はしよん(受難)七日のせすたへりや(金曜日)の時、又ハ死人のとむらいのためニも此くろきいろをつかい給ふ也。

 昔は「黒」も使う時があったようです。この記録によると、復活祭前の聖金曜日と、お葬式のときは黒を使うとのこと。これは今と少し違うところです。現代だと、聖金曜日は四旬節なのでそのまま紫を使っていたと思います。「死人のとむらい」が細かく言うと何を指すのか、この史料からだと読み取れませんが、現代の葬儀ミサでは(たぶん)黒は使っていなかったような…??現代は簡略化されているのかもしれません。

 昔の日本では、ヨーロッパのように何でもそろえられたわけではないと思いますが、できる限りのことはしていたのではないかなあと思います。使節を含め、当時のキリシタンたちが今とほぼ同じ典礼色を使って、同じような暦で過ごしていたかと思うと、なんだか嬉しくなりますね。

(2014.6.15 作成)
(2014.6.22 追加)


恋風旅路 >> 天正遣欧使節 >> 使節あれこれ >>(その5)教会の暦